ニッポン風めぐり紀行

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『あの花』の魅力とは① ~実はドロドロの愛憎劇

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2013年公開の『劇場版 あの花』に加え、2011年9月に催された『ANOHANA FES.』の映像まで見て、これにて『あの花』関連の映像はすべて視聴しました。劇場版はあの夏から1年後を描くもので、近況報告がてらめんまに手紙を書いてお炊き上げをするという話です。内容は本編の振り返り的要素が強いのですが、本編ではじんたん視点で話が進んでいくことがほとんどだったのに対し、じんたん以外の4人やめんまの視点が強く意識されているように思います。一度見通した人でも新たな発見がある内容になっています。『ANOHANA FES.』は作品の舞台でもある秩父の野外ステージで催されたファンイベントで、新たに書き下ろされたピクチャードラマ「めんまへの手紙」や「secret base ~君がくれたもの」の生歌披露など、こちらもなかなかの感動作品でした。





ひと段落ついたので、まとめがてら『あの花』の魅力とは何なのかを語ってみたいと思います。




結局、めんまの叶えたかった願いというのは、病床のじんたんの母親と約束した「じんたんを泣かす」というものでした。病気で倒れた母親の前では変に気を張るじんたんですが、「もっと甘えて欲しかったな、もっと泣いて欲しかったな」と回顧する母親の言葉を聞いて、めんまはじんたんを泣かせてみせると約束するのです。泣かす作戦をたてるためにじんたん抜きの5人で集まろうと呼びかけためんまでしたが、うまい具合に進まずに何故かじんたんも来てしまい、皆のいる前であなるがじんたんに対し「めんまのこと、好きなんでしょ?」と問いかけます。じんたんは本意に反して「誰がこんなブスと・・・」といってその場から逃げ去るのですが、めんまは後を追いかけ、その途中で沢に落ちて不慮の死を遂げてしまうのです。実はめんまに好意を持つゆきあつと、じんたんに好意を持つあなるが共謀して嗾けたこと、ゆきあつが気になりあなるに嫉妬しているつるこは2人の共謀を見抜き、めんまに告げ口していること、じんたんを追いかけていっためんまをゆきあつが追いかけ、そこで突然の告白をすること、逝ってしまうめんまを目撃していながら怖くて助けることが出来なかったぽっぽ。彼らの恋愛を巡る関係や罪の意識はすべてこの場面に凝縮されていて、仲良しだった5人は次第に疎遠になっていくのです。



ただ、めんまの本当の願いというのはもっと別のところにありました。めんまは日本人の父親とロシア人の母親との間に生まれた銀髪藍眼の所謂クォーターで、クラスではいつもひとりぼっちで「のけもの」にされていました。そのときに声をかけて仲間に入れてくれたのがじんたんだったのです。いつも一人で寂しくしていためんまですから、仲間に入れてもらえてみんなと仲良く遊ぶということが本当に嬉しかったんでしょう。でも自分が死んでしまったことで残された5人はバラバラになってしまいます。みんなと一緒に仲良く生きたいけど生きれなかった、みんなに自分のこと忘れて欲しくないけど自分がいるとみんなが喧嘩してしまう、めんまの母親はめんまを失った悲しみで時が止まり家族関係は冷め切ったまま、じんたんの母親との約束も叶えられなかった・・・。そんな気持ちの狭間で揺れてこの世に未練が残り、めんまはきっと成仏できなかったのでしょう。



実際のところ、めんまの願いというのは第8話で叶っています。願いが叶うとめんまが消えていってしまうことを思い、じんたんはめんまの前で泣いてしまう(本人はフランダースの犬を思い出して泣いていると嘘つく)のですが、その姿を見てめんまは病床のじんたんの母親とした約束を漸く思い出します。この時点でめんまは願いが叶ったと気づいたんですね。でも当の5人はじんたん母の病気が治るように龍勢花火を打ち上げて神様にお願いするというのがめんまの願いだと思っていて、花火製作に必要なお金を得るためにバイトをしたりしていますから、めんまも打ち明けることができなかったのでしょう。案の定、龍勢花火を打ち上げてもめんまは成仏せず、最終話では何故めんまは成仏しなかったのかというところからそれぞれが心に負った傷を吐き出し互いの気持ちをぶつけ合うという大懺悔大会へと発展し、めんまの本当の気持ちに気づいた5人は漸く結束し、めんまとちゃんとお別れをしようという決意を固めます。一応の願いがかなってしまっためんまは立てないほどに身体が弱まり、じんたんは透けて消えかけているめんまを背負ってお別れをするために秘密基地まで連れて行くわけですが、とうとうじんたんの眼にもめんまは見えなくなってしまいます(声はかろうじて聞こえる)。見えないのではなくてかくれんぼをしているのだと気を使うめんまの声を聞いて皆は秘密基地を飛び出してめんまを捜索。めんまは最後の力を振り絞って5人に宛てた手紙を記し、「超平和バスターズはずっとなかよし」という言葉を秘密基地に刻みます。めんまの書いた手紙が5人に渡り、いよいよお別れのときを迎えます。かくれんぼは見つけなければ終われないということで最後は5人の眼にもめんまが見えるようになり、見つかってしまっためんまは成仏し、天へ旅立っていきます。



結局のところ、『あの花』の物語は恋愛や友情をめぐる嫉妬やねたみや葛藤が渦巻くドロドロとした人間関係をもとに展開されていきます。久川(ぽっぽ)だけは恋愛関係には介入せずに一人蚊帳の外な訳ですが、沢に落ちためんまが逝ってしまう場面に遭遇しながら怖くて助けることが出来なかったという実は最も重い十字架を背負っていたりします。人を妬ましく思ったり羨ましく思ったり、過去に負った心の傷や後悔に苦しむというのは人間誰しもが持つごくごく自然な感情であって、人間の心理の本質という意味では的を得ていると思うのです。いかにも人間的などろどろとした負の感情がキャラクターの表情や心理描写も実に丁寧に描かれていて、大人が共感しやすいというのも頷けます。逆にその中だからこそ、めんまの純粋さが際立つともいえます。身体だけは何故か成長していますが、言動は幼いまま。成長していく5人に対して、めんまだけは時が止まり子どもの頃の記憶のまま取り残されてしまうのです。めんまの純粋な思いと高校生になった5人が抱く人間味のある負の感情が重なり合うさまは、言葉では言い表せないほどに切ないのです。



これ程までに心惹きつけられるとは、自分でも本当に不思議です。『あの花』の魅力とは一体何なのかと考えてみるのですが、なかなかうまい説明が出来ません。ただひとつ言えるのは、現実世界を生きる5人の姿と、虚像として現れためんまの姿が、人間の心の中の本質を映しているのではないかという思いです。私たちは出会いと別れを繰り返し、大切なものを得たり失ったりしながら人生を歩んでいます。過去を積み重ねながら、未来に向かって、現在という時を生きている。常に前を向いて人生を歩まなければならないのが我々の宿命ではありますが、ふと立ち止まって後ろを振り返り遺してきた人生の足跡を見つめたとき、後戻りして追いかけたくなるもの、いとおしいほどに取り戻したいものの多さに気づかされます。過ぎ去ってしまった時間、大切な人との幸せな日々、叶わなかった恋、伝えられなかった言葉。しかしそれらを取り戻すことは残念ながらできません。あの時ああしとけば良かったと悔やむことばかりです。作品でいえば、幼少期のあの日の出来事で心に傷を負ってしまった現実世界の5人はそれでもその先の人生というのがあり、それぞれが背負った過去と向き合い、悩み苦しみながらも乗り越えようとし、絆を深めて前に向かって歩んでいく訳ですが、死んでしまっためんまだけは時が止まったままで、この世に戻ってくることは二度とありません。5人の絆は深まっても、昔のような仲良し6人組は永遠に取り戻すことが出来ないのです。表面的見れば恋愛をめぐるドロドロとした愛憎劇、そして友人の死と向き合う若者の心の葛藤や後悔を描く非常に重たいテーマなのですが、人間誰しもが持ちあわせる感情を写実的に表し、決して戻ることが出来ない過去があるという現実をそっと投げかけているのが『あの花』という作品である考えるのです。

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| 『あの花』&『ここさけ』 | 21:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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