ニッポン風めぐり紀行

各種旅行記、バイクツーリング、乗りものレポ、老舗旅館や街道探訪など、『旅に生きる日々』を綴るブログです。

2015年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年04月

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実家到着

およそ6時間の移動を経て、無事に実家に到着いたしました。


長時間の移動ではありますが、それほどの距離を感じないと言いますか、東京がとてつもなく遙か彼方にあるという感じではありません。


とはいえ、流石に疲れたので今日は飯食って風呂入ってさっさと就寝します。

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小郡で乗換

別名を新山口、正式名称小郡にて新幹線を下車し、在来線の特急に乗り換えます。


この「スーパーおき」という特急は山口から米子までを四時間かけて走破するという結構な長距離ランナーです。特急なのにいつもは二両の短編成なのですが、時期が時期だけに今日は一両増結されて三両編成での運転です。

新幹線と在来線特急では比較にもなりませんが、東京→新大阪で二時間半、新大阪→新山口で二時間、新山口→益田で一時間半かかり、やはり対距離にかかる所要時間の違いは歴然です。因みに、新大阪から乗った「さくら」が鹿児島中央に到着するのと、「スーパーおき」が益田に到着するのがだいたい一緒くらいなのですからたまりません。



■ スーパーおき6号
新山口(1712)→益田(1848)

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さよなら、東京

昼過ぎの新幹線で離京します。




本当は朝の新幹線に乗るつもりだったのですが、旅立ち前の最後の時間とその余韻を楽しみたくて昼の新幹線に変更しました。山手線を一周してみたり、沿線の桜を眺めたりして楽しんでいます。


慣れ親しんだ土地を離れるとき、こんなにも寂しい感情が沸き起こるものなのかと不思議になります。この街ではこんな事があったなとか、結局あの店には行けなかったなとか、様々な記憶が蘇ってきます。きっと自分が思う以上に東京の街には愛着が染み着いていて、もしかしたらそれは郷里への思いをも凌ぐほどに大きなものなのかもしれません。



この先、どのような人生を歩み、どのように自分の気持ちが変化し、何処を定住の地としていくのかは分からないけれど、時の流れに身を任せて生きていくしかないのかなと思っています。時間の積み重ねが私をより良い方向へ導いてくれるものと確信しています。



これより、新幹線に乗車して帰途につきます。





さよなら、東京…。





■のぞみ343号
東京(1220)→新大阪(1453)


■さくら561号
新大阪(1459)→新山口(1658)

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嗚呼、惜別の日々

部屋を退去し、首都圏を離れるまで残りわずかとなりました。


今日の日中にまとめて業者さんに来ていただきました。早朝の粗大ごみ・不用品回収に始まり、ゆうパックでダンボール19箱を発送、ヤマト運輸の家財宅配便で必要最小限の家電製品を発送、そしてバイクの陸送サービスでスーパーカブ110を発送しました。すべての費用をまとめると6~7万といったところでしょうか。今の時期に引越業者なんかを使うと普通にウン十万もっていかれますから、かなりのコスト削減だと思います。これが夫婦と子どもの世帯だと業者を使わざるを得ませんが、そこは一人暮らしの成せる業といったところでしょうか。部屋はおおかた片付け終わり、わずかばかりの荷物とごみが残っているだけで、あとはネット接続一式を返還して最後に私が部屋を出て明け渡すという段取りです。夕方頃に退去して土曜日は都内に宿泊し、日曜日の朝の新幹線で帰郷するという予定になっています。


引越作業をしながら合間を見ては都内を散策したり、思い出の場所を巡ったりしました。東京東京と言っていますが私は東京都内に居住したことはなく、その代わり千葉・埼玉・神奈川・山梨といった周辺各県にはあらかた住みました。親元を離れて初めて一人暮らしをした神奈川県大和市、学生時代をすごした埼玉県旧北川辺町や山梨県都留市、社会人生活をスタートさせ、最も長い7年間を過ごした千葉県市川市。そして仕事で長いこと世話になった東京の下町・深川。それぞれの街に思い出があり、記憶として刻まれています。15年にわたり暮らしてきた愛着のある地域だからこそ、離京をひかえた今の心境は非常に複雑で、東京を離れる寂しさと新しい土地での生活に対する期待とが入り混じっている状況です。東京という街の魅力についてはかなり思うことがあるので、それはまた後日記事にしたいと思います。


今晩は、横浜に住んでいる前・前職場の同僚と久しぶりに再会し、以前から興味があった「野毛で飲む」というのをやってみました。私は「初・野毛」なので、よく野毛に飲みに来るという友人についていき、串焼きの店・海鮮の店・ホルモンの店・そしてリーゼントの店主が特徴的な大衆酒場と、結局4軒くらいはしごしてベロベロになってしまいました。

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あと一週間

転居まで1週間を切りました。活動に明け暮れていた日々は終わりを告げ、いよいよ引越しに向けた準備が佳境を迎えているという状況です。


部屋はほぼ片付け終わりまして、転居先に持って行くものはダンボールにまとめ、TVやPCなど退去直前まで使うもので尚且つ家財宅配便で送る予定の物のみを残している状況です。今回は遠方の実家への転居なので、冷蔵庫・洗濯機・電子レンジ・レンジ台・衣装ケース・組立ラック・掃除機・テーブル・座いす・カラーボックス・自転車・食器類・書籍等など・・・、とにかく今後不要なものはこれでもかというくらいに処分しました。粗大ごみで出したり、オークションに出品したり、ブックオフに売ったりと処分の仕方は様々です。こうして部屋を片付けてみると、いかにモノに囲まれて生きているのかがよく分かります。しかも、普段ほとんど使わないものや思い出の品として眠っているだけのものの割合が非常に多いですね。なので引越し業者などは利用せず、すべて宅配便で送ってしまいます。バイクに関しては陸送を手配しました。後は荷物を掃かして部屋を綺麗にし、管理会社に明け渡すという段取りを残すだけです。

あとは残された時間の中で、桜の花が咲きつつある東京の街を今一度巡ってみるといったところでしょうか。

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関東惜別ツーリング ~湘南海岸&ヤビツ峠

もう間もなく島根県へ転居ということで、関東地方をバイクでツーリングというのも出来なくなりそうです。房総半島、秩父、長瀞、奥多摩、三浦半島、伊豆半島、富士五湖、湘南、丹沢、足柄・・・。スーパーカブ110を手にしてからというもの、2日以上の休みさえあれば関東各地を走ってきましたから、思い出が詰まった土地を離れるというのはやはり寂しさがあります。最後の締めくくりということで、この週末の土日を使って関東惜別ツーリングへと出かけてきました。





■土曜日

土日のうち一日は海へ、もう一日は山へという極めてざっくりな計画しか立てていなかったのですが、まず土曜日は「海」ということで湘南海岸から鎌倉にかけて走ってみることにしました。





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藤沢駅前から江ノ島海岸へ抜け、湘南の海沿いを稲村ヶ崎方面へ向けて走りました。このあたりは夏も冬も関係なくいつもサーファーや行楽客で賑わっていて、いつも渋滞している印象しかありません。まぁここは敢えて渋滞に巻き込まれノロノロ進みながら、湘南の海を眺めたり沿道の店の様子を窺ったり江ノ電と並走したりするのが楽しみの一つだと思います。


この日は曇天で予想以上に寒く、途中で小雨も降ったりしてかなり苦行を伴うツーリングでした。湘南海岸を過ぎてからは若宮大路に折れ、鶴岡八幡宮や北鎌倉周辺を走ったのですが、寒くてどうしようもなかったので途中何処にも立ち寄ることなく通過してこの日は終了しました(※湘南海岸の画像は過去の活動写真から引用)。






■ 日曜日

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「山」を走るということで、国道246号線で秦野まで走り、そこからヤビツ峠を越えて宮ヶ瀬湖周辺を走るというルートを選択しました。土曜日とはうって変わり、太陽の出ている時間が長かったので暖かくて心地よく、寒さは全く感じませんでした。


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峠に向かう道中では、既に満開となっている桜もちらほら。やっぱり桜は美しいなとしばし見惚れてしまいました。ヤビツ峠の頂上近くには展望台があり、秦野の市街地から相模湾まで見通すことができました。天気は良かったですが、黄砂や花粉の影響なのかかなり霞んでいたのが残念でした。



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秦野といえば名水の地。峠を越えてすぐの所にある「護摩屋敷の水」にて喉を潤します。峠を境とした秦野市側に比べ、清川村側は道幅が狭く悪路が続き、走行にあたってはかなりの体力精神力を消耗させられました。ヤビツ峠はサイクリングやハイキングの方も多いのでより神経を使います。宮ヶ瀬湖畔を一通り走って爽快感を味わい、相模原市街地へと抜けて行きました。



寒さにやられた土曜日はともかく、日曜日のヤビツ峠は天気にも恵まれ、惜別に相応しいツーリングとなりました。

| 日常の話題 | 20:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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日本一周後の5年間を振り返る④ ~今後の活動の展望

本表題の締めくくりに、今後の活動方針についての話です。


まず生活の拠点が島根県に移ることで必然的に活動範囲も西日本中心となり、主戦場は中国地方に加えて四国や九州といった地域になると思います。高校までそこで暮らしていたとはいえ、当時はまだあちこち旅をして回るという事はしていませんでしたから、行ったことのない場所・行ってみたい場所も数多くあり、特に九州には幾度となく足を運ぶことになりそうです。


活動の手段はこれまでの鉄道やレンタカー中心のものから自家用車やバイクによる活動が中心になります。そもそも自家用車がなければ生活が出来ないような場所ですから必然的に自家用車は購入することになるでしょう。またバイクについては原付では流石に活動範囲が限られますから、既に所持している普通自動二輪を格上げして大型自動二輪免許の取得を目指し、700cc超のバイク購入を目標にして仕事に励んでいくつもりです。さすがに初年度ですべては無理ですけどね。

それから、東日本での活動については飛行機が重要な足になります。幸いにも、実家のすぐ近くの車で10分かからない場所に石見空港があり東京便が一日二便就航しており、さらに周辺には岩国・山口宇部・出雲といった空港もあるので空の便に関しては今後かなりの頻度でお世話になると思います。因みに石見-東京便の最安値は、最も割引率の高い「旅割75」の適用で片道7000円ほどという驚愕の安さです。これはもはや仙台や金沢や名古屋や大阪の人が新幹線で気軽に東京に遊びに行くというのと同じ感覚なので利用しない手はありません。空路で東京に移動して鉄道やレンタカーで活動を展開するというのが主流になりますが、将来的には貸倉庫をレンタルし、関東での活動用のバイクを常備保管しておくという方法も有りかなと考えています。


いずれにしても仕事に早く慣れて生活を軌道に乗せ、郵便配達に携わっていたときと同じような充実感を得られるような毎日にすることが第一です。仕事中に「早く仕事が終わらないかな・・・」とか「次の休みは何をしようかな・・・」という感じで時間の経過を気にしながら日々を過ごすようなことはあまりしたくないし、出来れば時間を気にする暇もなくあっという間に一日一日が終わり、気づいたら休みに突入・・・といった日々が理想ですね。


さて、今後どのように生活が変化していくのか、今から楽しみです。

| 日常の話題 | 23:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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日本一周後の5年間を振り返る③ ~人生は新たな舞台へ

再三にわたって郵便配達の仕事に出戻り、いよいよこれで定着かと思いきや、そうすんなりとはいきません。実は昨年夏に郷里の自治体職員の試験に合格し、4月からそちらに勤務することになりました。郵便配達の仕事も年明けの1月末日には退職していて、2月以降立て続けに大東島や北信越への長期間の活動を展開していたのもそういった理由からです。



正直なところ、東京での生活や郵便配達の仕事に未練があるのも事実です。大学進学以来、およそ15年にわたって首都圏で暮らしてきたのでそれなりの愛着もありますし、完全に首都圏での生活に慣れてしまっていますから、それと決別して地方での生活に慣れるのは少し時間がかかると思います。特に都心から全国各地に伸びる交通網環境は、旅を趣味とする者にとっては捨てがたい恩恵であり、故郷とはいえ交通不便な地方に住むことを受け入れられるかどうか不安が残ります。また何度も出戻りした事実が裏付けるように、郵便配達の仕事自体は大好きでやりがいも感じていましたから、長年にわたり世話になった職場や配達区域を離れる寂しさも残ります。前の記事で記した「日常生活における充実感」は、郵便配達の仕事に携わっていたからこそ得られた感情であって、新しい仕事でも同じようにやりがいを感じられるかどうかは正直分かりません。

ただ、東京での生活や非正規採用だった郵便配達の仕事はやり直しができるのに対して、自治体職員の仕事はいつでも誰でも出来るというものではありません。もともと地域づくり関係の勉強をしてきたこともあって興味のある分野でしたし、何十人もいた受験者の中から私を採用していただいたことを御縁だと思い、素直にそれを受け入れて挑戦してみるというのは自然な考えだと思います。それでも東京生活や郵便配達の仕事への思いを引きずり、やりがいを感じられずに定着しなければ、また戻ってやり直せば良いというくらいの楽観的な気持ちでいます。またコロコロ変わってと言われて呆れられても何を今更という感じですし、実際やってみなければ分からないことですから仕方がありません。この先どのように転ぶかは私にも分かりませんし、やって駄目なら自分が望むほうにシフトしていくというただそれだけの事です。勿論新しい職場に定着するつもりで新しい環境に飛び込んでいく気持ちではいますが、先のことは神のみぞ知るといったところでしょうか。


| 日常の話題 | 21:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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日本一周後の5年間を振り返る② ~気持ちを動かした3つの出来事

前回の記事の続きです。


すべてを投げ打ってでも日本一周の二周目に旅立ちたいという思いから、旅と仕事を両立させるという選択へ・・・。1周目の日本一周を終えてから今までの約5年の間に、その心境の変化に大きく影響を与える出来事というのがあったので紹介してみたいと思います。





① 日本一周29周目の男との出会い

2013年3月。

レンタカーを借りて、東北地方を1週間ほどかけて旅したときの話です。東京・日本橋と青森市を繋ぐ国道4号線を全走破するという旅だったのですが、無事に青森市まで走り遂げ、折り返しで十和田市の道の駅『とわだ』に立ち寄ったときの話です。

建物の軒先に、長期旅人のものらしきママチャリが停まっていました。施設内で休んでいるのか、持ち主の姿はそこにはありません。自転車には無数のビニール袋がぶら下げてあって、かなり気合の入っている感じでした。プラカードに書いてある29という表記が遠目からも確認できたので、「今日で29日目か、そろそろ旅にもなれてきた頃かな」と思いつつ、「日本橋をスタートして十和田市まで29日で来れるのだろうか」と思いながら近づいてよく見てみると、『日本一周29周目』という表記!これには目を疑いました。一体どんな人物なんだろうと想像しながら結局30分くらい待っていると、そこに現れたのは60歳過ぎくらいの男性でした。


着ているものは相当くたびれていて頭はボサボサ。顔は煤で汚れていて、かなり疲弊したような表情をしていました。取り敢えず話をしてみようと思い、暖かい缶コーヒーを買って渡したのですが、彼は私が差し出したコーヒーをさっと奪い、礼を言うでもなくすぐに飲み始めました。話をしてみると彼は定職に就くでもなく、およそ24年にわたって目的もなく日本全国をぐるぐる回っているとのことでした。「昨日金を盗まれて北海道に渡れなくて困っている」、「青森で仕事を探そうかどうか迷っている」、「今日はカンパが○○円しか集まらなかった」というような話をされました。確かに自転車には自分へのカンパをお願いする言葉とカンパ袋がぶら下がっていましたが、その様子からこの人は不運にも金を盗まれたから困り果てて藁にもすがる思いで助けを求めているのではなく、日常的に道行く人にカンパをお願いしながら旅をしているのだということは明らかでした。


彼との出会いを通して感じたのは、この人は「旅人」ではないという思いです。彼が本当に旅が好きで日本一周を続けているのか、それとも離婚や死別や事業の行き詰まりや借金といった何かしらの出来事をきっかけに辿りついた人生なのかはよく分かりませんが、おそらく後者でしょう。どうすることも出来なくなって今の生活に行き着いてしまったというのが印象です。その男から映し出されるのは、長年に渡り旅を積み重ねてきた誇り高き旅人の姿ではなく、恩を受けた人に感謝を述べるでもなく、それを当然のこととしてさらに人からの援助を頼りにして生活をしている浮浪者の姿でした。この時の私は再び日本一周に出発するという考えを持っていましたから、仮に日本一周に出たとしてその後の人生に行き詰ったとき、もしかしたらこの人と同じ道を辿るのかな・・・と想像して正直怖くなりました。彼が行っているのは旅ではなく、他人からのカンパをあてにした放浪的な路上生活に他ならない。人生の円熟期を迎え、旅を心から楽しんでいる生き生きとした壮年男性の姿では決してありませんでした。おそらくこの人は何かしらの出来事をきっかけに旅を始め、旅をしながらふらふらしているうちにいつの間にか歳を重ねてしまったのでしょう。

人と違う生き方は厳しく、誰の所為にすることもできないし、たとえ挫折や失敗をしても自分で責任を取らなければなりません。自分が好きで選んだ道であるにも関わらず、失敗したから助けてくれと人に頼るというのはむしが良すぎるし、何より道義に反している。旅をしながら生計を立てて生きていくというのは非常に難しいことで、それこそ自分の大好きな旅で生活資金を稼いでいく具体的なプランや、例え失敗してもその責任はすべて自分で負うという相当な覚悟がなければその道を全うすることは出来ないでしょう。しかし旅を生業として旅と共に生きていく以上はそこまで考えなければならない。私も日本一周を終えたとき、貯蓄が底をつき大変苦しい生活だった時代があります。職がなく社会との接点を持てず、残り少ない限られた貯蓄を切り崩しながら生活をしていかなければならなかった当時の精神状態は最悪で、惨めさと情けなさで満たされていました。再び日本一周に出たとしても、旅をしながら生計を立てていく生活やその後の具体的な人生プランが確立されていなければまた同じような惨めな境地に置かれることは想像に難くありません。しかも普通に就職するよりもそのリスクは圧倒的に高い訳です。仮に失敗したときに行き着く先はこの男性のような姿なのかと想像して恐ろしくなったと同時に、そうはなりたくないなと思ったのが当時の偽らざる私の心境です。








② 仕事や生活が充実してなければ旅も楽しめないという教訓

以前の記事で紹介した中で、配送の仕事というのがありました。土日祝は基本的に休みで、夏休みや冬休みもあって北海道ツーリングにも行くことができました。しかしその一方で待遇面では恵まれておらず、基本給が低く各種手当もないという条件でした。平日の勤務はほぼ毎日のように長時間残業があり、しかも残業代が支給されないという劣悪な環境にありました。結局私は8ヶ月ほどでその仕事を辞め、それまでやっていた郵便配達の仕事に復帰しました。

要するに、土日が休みだったりGWや夏季休暇・冬季休暇のような旅をするには最適な環境が用意されていたとしても、その仕事が本当にやりがいのある楽しい仕事で、経済的・精神的に安定していなければ旅も楽しむことができないということを私は身をもって知った訳です。それまでの私は「人生は旅がすべてである」という考え方が支配的で、旅ができる環境さえあれば多少給料が低くても仕事がきつくても乗り越えていけると思っていたのですが、どうやらそれは大きな間違いでした。

気になることや不安があって休みの日でも仕事が頭から離れない、週明けの仕事のことを考えると憂鬱になる、職場の人間関係にストレスを感じている、友人・恋人・夫婦間の関係がうまくいっていない、親の介護に忙殺されている、経済的に不安定で将来に不安がある等々・・・。人間は様々な悩みや問題を抱えながら生きています。しかもそれらは多かれ少なかれ人により差異はあるにしても完全に無くなることはない。であるならばそれらの悩みや問題とうまく付き合っていくことが重要で、そういう意味でも心を解き放ち、自分の好きなことや趣味に没頭できる時間が誰にでも必要なのです。時間の使い方がうまい人というのは、仕事の時間・家庭の時間・自分の時間(趣味の時間)をうまく両立しさせ、時間の使い方の配分がうまい人のことを言うのでしょう。私はおそらく時間のすべてを旅に、すべてを仕事にというやり方が合わない人間で、すべてをバランスよくやらなければ駄目な人間なのだと思います。やりがいのある楽しい仕事に携わりながら精神的・経済的な安定を礎としなければ、心の底から旅を楽しむことはできません。事前の提示と実際の待遇に大きな開きがあったという裏切りをかまされ、サービス残業を強いられる正社員の仕事よりも、勤務時間や残業代支払いが遵守され、有給がほぼ100%消化できる非正規の郵便配達の仕事のほうが楽しくてやりがいを持てると感じましたし、実際にそう思ったから出戻りを決意しました。そしてただでさえ心配性の私に、生活のすべてを投げ打って日本一周二周目の旅に出るという選択はどうしても出来るとは思えず、旅と仕事を両立していくことこそが未来を見据えた自分に適した最善の道であると思うようになりました。






③ 旅も重要だが仕事も重要という考え方

「人は人に生かされいている」という言葉がありますが、旅をするとつくづくそのことを感じます。旅というのは、多くの人に支えられて成り立っているのだと最近強く意識するようになりました。これは何かひとつの出来事でという訳ではなく、この5年間を通して根付いた気持ちの変化です。

安全に確実に時間通りに運んでくれる乗り物の乗務員、日本全国に続く道を作り維持してくれている道路建設者、丁寧で繊細な仕事を追求する居酒屋・飲食店の料理人、旅先でのおいしい食を提供してくれて美しい景観形成にも貢献してくれている農林水産業者、温かくもてなしてくれるホテルや旅館の従業員・・・。一人ひとりの丁寧な仕事が、旅の安心と安全、時間の確実性、旅先での感動的な出来事の創出に繋がっていると思うのです。持ちつ持たれつの関係が社会の真実であるならば、「旅がすべてで仕事は二の次である」と考えていた自分は間違っていて、他人の仕事によって自分の旅が成り立っているのなら、自分も誇りとやりがいをもって仕事に携わり、誰かの役に立ち誰かの幸せに通じるように仕事に取り組むことこそが道理的ではないかと思うようになりました。






これらの出来事を総合して私の心境の変化をまとめるならば、先行きの分からない旅のある人生も楽しそうだけど、ありふれた日常もそれはそれで楽しいじゃないかと思えてきたことです。好きな仕事にやりがいを感じながら充実した毎日を過ごし、たまに日常を抜け出して旅に出るのもいいし、定年退職後の壮大な日本一周を夢見ながら人生を送るのも悪くないなと思うのです。非正規で給料はそれほど高くなかったけれど、郵便配達の仕事とそれを取り巻く私の日常はとても充実していました。特に前職で相当嫌な思いをしましたから尚更そう思うのかもしれません。職場の仲間と協力しながら大変なことはあるけれど毎日の業務をこなし、配達区域のお客さんに毎日のように感謝の言葉を頂きながら、信頼されて必要とされて仕事が出来、たまには職場の仲間と飲みに行く。好きな音楽を聴いて通勤する時間、出勤前に必ず立ち寄るコンビニのイートインコーナーでのひととき、仕事中や通勤中に綺麗な女性を見かけて自然と心を奪われてしまう瞬間、無事に仕事を終えて帰宅して風呂に入ってTV前の座いすで一息つく時間・・・。そんな毎日の一瞬一瞬がかけがえのない幸せな時間であるように思えてきたのです。日常生活の満足感や充実感が得られると同時に、日本一周二周目に対する執着も次第に薄らいでいくのが自分でも分かりました。



ならばこの先、郵便配達の仕事で漸く定着するのかと思いきや、実はそう簡単にはいかないのが私の人生です。この4月から、私の人生は新たな舞台に移ることになるのです・・・。

| 日常の話題 | 21:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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日本一周後の5年間を振り返る① ~5年間の変遷

2009年の5月。

大学を卒業して社会に出てから3年程が立った私はそれまでの仕事を退職し、50ccのスクーターで旅に出る決意をします。およそ半年にわたって日本中を旅した記憶は、今もなお私の記憶の片隅に深く刻まれています。


日本一周の旅を終えて間もない頃、私は「今すぐにでも日本二周目の旅に出たい」という強烈な衝動に駆られ、実際に再び旅に出ることを目標として社会復帰し、貯蓄に励むようになります。しかしそこから現在に至るまでの人生はまさに苦難の道でした。再び旅に出ることを理想としながらも、仕事やお金や家族や将来のことなど、実際には超えなければならない問題がいくつもあることに気づかされます。時間が経つうちに旅の再開は遠い夢物語となり、旅の再開に拘るのかそれとも定職に就いて落ち着くのか、東京で暮らすのかそれとも故郷に帰るのか、家族や結婚はどうするのか。不安で心は揺れ動きます。本当に旅が好きなら、本当に日本一周に拘るなら、それ以外のことすべてを投げ打ってでも夢に向かって邁進するはずなんです。あらゆる分野においてその道のプロというのは、必ずそういう人生を歩んでいるものです。でも、私にはそれが出来なかった。結局具体的な方向性を見出すことが出来ないまま、自分の進むべき道を決めなければいけない大切な局面を避けたり先延ばしにしたりして、たらたらと過ごしてしまった5年間だったのかもしれません。その間の経歴こそが揺れ動く私の心を映しているかのようです。



日本一周を終えた2009年以降の人生について少しまとめてみました。




2009年10月・・・ 日本一周から帰還


2009年10月~2010年5月・・・
旅が終わって放心状態の期間。新たな旅立ちを目標に定め求職活動をするも結局半年間も無職生活を送ってしまう。日本一周達成直後は旅をやり遂げた充足感で満たされていたが、仕事が決まらず、貯金が底をつく寸前までいくという状況は精神衛生上大変よろしくなかった。



2010年5月-2012年3月・・・
無職生活にも限界が近づいてきたところで救いの神登場。郵便配達の仕事に非正規として採用される。仕事を覚えるまでは本当に大変で実際のところ最初の数日で辞めていってしまう人も少なくないのだが、私はどうにかそれを乗り越えて軌道に乗せることができた。




2012年4月-2013年2月・・・
3月で前職を辞め、故郷にUターンして職に就くが、まったく畑違いの職務であることが判明して仕事に馴染めず、1ヶ月もしないうちに退職してしまう。そして郵便配達に復帰。だがその翌年に別の職場で正規採用されることになり再度郵便配達を退職。郵便配達の仕事は自分に合っていて好きだったが、非正規から正社員に登用される道のりはかなり険しく、自分自身30代になり、正社員になるなら今動かねばという思いが心を支配するようになったが故の決断だった。



2013年2月-2013年3月・・・
沖縄(本島・久米島・渡名喜島)、北海道(北海道フリーパス)、小笠原を旅する。



2013年4月-2013年12月・・・
書類の配送関係の仕事に正規採用されるが、本ブログでもたびたび紹介したとおり、給与体系や勤務時間、残業や昇給などの規定が事前に提示されたものと大きな乖離があり、身体的・経済的・精神的に苦しい生活を強いられることになり、旅どころではなくなる。これをきっかけに、生活の安泰・精神の安定こそが旅の礎であるという考え方を強くもつようになる。違法であることを職場に訴えても改善が見られず、12月に退職。




2014年3月~2015年2月・・・
郵便配達の仕事に復帰。因みに、三度にわたる復帰劇は全て同じ局の同じ部署・班の同じ担当区に出戻っており、関係各所にはかなり迷惑をかけてしまったが、一方で向こうは向こうで慢性的な人手不足という事情があるので、どちらかというと歓迎ムードで復帰できているのが幸い。職場の人も担当地域の人も本当に温かく迎え入れてくれた。




これが日本一周した後の5年間の人生のすべてです。様々なことで悩み、それがこの定着せずに落ち着かない人生に集約されていると思います。今振り返って思うのは、日本一周の旅そのものの価値というのは、旅をした期間中のあれこれだけではなく、日本一周達成後の人生によって大きく左右され決定づけられているのだと思うのです。旅をした後に、「あの時旅に出て本当によかった」と思えるくらいに納得のいく人生を送れていれば旅には価値があったのでしょうし、逆に「今の自分はこんなはずではなかった」とか「旅なんてしなきゃよかった」と思うのなら、価値のない旅だったということになります。いずれにしても、旅の後の人生の歩みこそが旅以上に重要だということです。


この5年間というのは、旅の終わりとは一体いつなのか、日本一周の終わりとは一体いつなのかという問いと向き合う時間だったように思います。達成直後は日本二周目を夢見て具体的に動き出しましたが、現実を直視するうちにしだいにその夢はしぼみはじめていきました。それでもその現実を認めたくないという思いがあって、心の片隅にはしぼみかけた夢の断片が残されていたのかもしれません。しかし時が経つうち、日本一周は一旦封印して旅と仕事を両立する生活の確立を目指すという方針へと変わっていきました。あの旅から5年もたった今頃になって漸く心にけじめがつき、過去の日本一周は既に終わったことでいつまでも続くものではないこと、過去にしがみ付くのではなく新たな人生を歩まなければならないという思いが強くなり、気持ちに整理がついたような気がします。そんな今こそが、本当の意味での「日本一周の終わり」ではないかと考えています。ひとつの旅が終わらなければ、次の旅に出ることも出来ないですから。


ところで、この5年の間に気持ちが変化するきっかけとなった出来事というのがありまして、次の記事にて少し紹介してみたいと思います。

| 日常の話題 | 17:37 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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