ニッポン風めぐり紀行

各種旅行記、バイクツーリング、乗りものレポ、老舗旅館や街道探訪など、『旅に生きる日々』を綴るブログです。

2014年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年06月

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トワイライトEXP.終焉

またひとつ、時代を彩ってきた寝台列車が姿を消すことになった。


大阪と札幌を結んできた『トワイライトエクスプレス』が来春、姿を消す。



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私は当該列車には一度も乗車したことがない。ただ、旅先で偶然遭遇して撮影するという機会は数知れないほどあった。中でも印象的だったのは、昨冬の北海道鉄道旅での出来事。私は上野から『北斗星』に乗り札幌を目指していたのだが、荒天のために列車が遅れ、函館に入線してから向きを変えて発車した直後の五稜郭で函館入線を待っているトワイライトとすれ違い、終着札幌では我々の後を追いかけてきたトワイライトとの並びが実現。漆青と深緑の車体にびっしりとついた着雪が、それぞれの壮絶な長旅を物語っているようだった。

いつかは乗ってみたいと思いながらも実現できないままここまできてしまった訳だが、廃止発表後の惜別狂想曲の中で果たして寝台券は取得できるだろうか。またそれとは別に、仕事をして貯めたお金で、母親か祖父母にトワイライトの列車旅をプレゼントしてあげれたらと密かに企んでいたというのもあり、残念だがどうやらそれも実現させるのは難しそうだ。

長年にわたり続いてきたいわゆるブルートレインの段階的廃止はいよいよ最終章を向かえることになる。北斗星もはまなすも廃止されるのは必至の流れだとは思っているが、どちらかというと豪華寝台列車の様相が強いトワイライトがこれほど早く廃止されるとは思わなかった。となれば、カシオペアも同じ運命をたどるのか。一方でサンライズエクスプレスは果たしてどうなるのだろうか。東京と私の故郷を結んでくれる列車が最後まで残ってくれればそれはそれでありがたいのだが・・・。いずれにしても、公共性のある移動手段としての寝台列車という選択肢が完全消滅する日もそう遠くはなさそうだ。寝台列車というカテゴリーそのものが歴史となる時代になったのだ。



かつて、長野電鉄屋代線の廃止が決定したとき、当時の社長はこんな言葉を出している。



「お客様の乗らない屋代線は、もう商品として認められていないんです。」



ここで言うお客様とは、観光客・行楽客のことではない。通勤・通学・買物等、日常生活の足として「なくてはならない存在」として利用している地元住民のことを言う。いくら地元からの愛着があっても、鉄道ファンからの惜別感があっても、存続活動が起きても、日常的に利用してくださるお客がいなければ、事業としての鉄道は存続させることはできない。新幹線や航空機や高速道路などの高速交通網、そして自家用車での移動が当たり前となっている現代社会の中で、割高で時間のかかる夜行列車や本数が少なく自由度の低い地方のローカル線は明らかに時代の流れにそぐわない公共交通機関であり、必要とされないものが廃止されるのは、時代の宿命といえるかもしれない。

旅人の見地からすれば、このような時代の流れは決して歓迎されるものではない。私たちが旅先で求めるものは、非日常空間に身をおくことであり、公共性の高い地方鉄道なんていうのはまさに地域生活の縮図のような空間であり、土地土地の風土・文化を味わうのにはうってつけの乗り物なのだ。毎日毎日同じ時間に地元住民を乗せて走っている普通列車にふらっと乗ってみる。車窓を流れるいつもとは違う新鮮な風景を楽しみ、地元住民の言葉に耳を傾け、いつもとは異なる乗降の仕方、ドアの開け方、車内放送、きっぷの形、運賃の支払い方に驚く。旅する土地で求める非日常は、その土地で暮らす人々にとっての日常でもある。それを少しだけお裾分けしてもらい、別の地域の日常に染まりながら旅を深めていくのが面白いのだが・・・。

これから隆盛を極めるであろう豪華寝台列車や、観光列車・イベント列車の類は、旅の本質とは抜本的に異なる。そこに広がる空間は、旅先での日常ではない。たとえ地方のローカル線を列車が走ったとしても、列車の中はまた別の世界だ。意図的に演出された交流やイベントを楽しまされ、旅した気分にさせられているだけに他ならない。旅の本質部分を失った道楽で、果たして心は満たされるだろうか。


時代が移ろい変われば、この世の森羅万象は絶え間なく変化する。鉄道のあり方も、時代に求めに応じて進化するということなのだろう。
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| 日常の話題 | 22:54 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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奥秩父ツーリング その2 ~ 鉱山集落を訪ねて

2013年10月13日(日) 奥秩父ツーリング2日目(前半)

1日目の活動は⇒コチラ

1日目宿泊地の記事は⇒コチラ



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大滝の民宿『みたけ』を朝8時に出発し、まずは三峯神社を参拝します。神社としては絢爛豪華な春日造という建築様式のようで、中でも独特の形をした鳥居は一見の価値があります。民宿『みたけ』の記事でも触れましたが、神社の境内には興雲閣という温泉の湧く宿坊もあります。

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奥秩父を貫き、山梨まで伸びる国道140号ですが、奥秩父周辺は山間部でありながらかなり立派な道路が整備されており、途中にはループ橋もあります。この日は連休中日ということで、ライダーも多数見かけました。





三峯神社を後にして、大滝道路と県道210号を繋ぎ、奥秩父の最果てともいえる中津峡近辺へと分け入っていき、いよいよ本ツーリングの核心部分へと迫っていきます。この旅の主題のひとつに、日窒鉱山集落を訪ねるというのがありました。鉱山採掘に携わる人とその家族が暮らしていた社宅・学校・商店などの跡が数多く残されており独特の風情があるということで、一度訪ねてみたいと思っていたのです。鉱山自体は今でも現役で稼動していて、立ち入り禁止区域も多いので注意せねばなりません。



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大滝側から県道210号を進んでいくと現れる雁掛トンネル。これが日窒鉱山への入り口になります。素掘のトンネルは緩やかな上り坂になっていて、トンネルを抜けるとどこか別の世界に誘われるかのような不気味さがあります。自動車同士がすれ違うことは困難ですが、中間部には退避スペースがあります。しばしそのスペースに停止してエンジンを切ってヘルメットを脱ぎ、坑内の暗闇と静寂と空気を感じてみるというのをやってみたのですが、かなり不気味です。


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トンネルを抜けて進んでいくと、早速日窒鉱山の中心部らしき管理事務所のような建物群が見えてきます。川を隔てた対岸には鉱山操業の中心部が広がります。日窒鉱山は周辺の集落群は朽ち果てて廃墟となっていますが、鉱山採掘事業そのものは今なお現役です。ここは両神山から石灰石を産出しているのですが、山を削るような音が響きわたり、あたり一面に石灰の埃が立ち込めるような雰囲気があります。すぐそばを流れる河川も赤茶けています。



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そして事務所に隣接する位置には秩父鉱山簡易郵便局!!いかにも秩父らしい趣のある建物で、この日は休日なのでシャッターが閉まっていましたが、もちろん現役で営業している郵便局です。記念貯金できなかったのが残念でなりません。効率化・合理化が主流の時代にあって、こんな山奥に金融機関が残されているとは、まだまだ郵便局も捨てたものではありません。

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操業区域を通過してしばらく行くと、いよいよ隆盛を極めていた頃の従業員が生活をしていた区域に入っていきます。まず見えてきたのは学校。旧下倉沢小・中学校の校舎と正門です。既に学校としては廃校になっていますが、校門は硬く施錠されており、中に入ることは出来ません。


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続いて社宅・住宅が見えてきますが、その多くは山の斜面のわずかな平地にへばりつくようにして建っていて、一箇所に密集しているのではなくあちこちに点在しています。よくもまぁこんな場所に家を建てたなと感心してしまいます。それぞれの家に通じる道らしき道はほとんどなく、登山道のような細い山道があればまだましなほうで、山をよじ登らなければたどり着けないような住宅もあります。


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こちらは居住部分の中心部にある共同浴場。ガラス窓が割られ内部もかなり荒らされているものの、浴槽や風呂桶なども残されていて、当時の面影を偲ぶことが出来ます。大規模社宅のような家屋ならまだしも、山の斜面に建つ住宅全てが浴室を持っていたとは考えにくく、こちらの共同浴場を利用する人も多かったのではないでしょうか。



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共同浴場のすぐ隣には比較的規模の大きい商店らしき建物があります。この山の中で食料品や日用品を買う場所なんてここ以外にないでしょうから、それなりに規模が大きく、品揃えも豊富だったのでしょう。


ここだけ時が止まったような不思議な空間が広がっていて、大変興味深かったです。今でも現役で操業されている鉱山であるとはいえ、かつての繁栄を支えた生活圏はこのままひっそりと時を止めたままで、時間をかけてゆっくりと自然に還っていくのでしょう。



| 13年10月/奥秩父 | 22:58 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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宿泊帳簿06.埼玉・秩父 民宿みたけ

だいぶ間隔があいてしまいましたが、2014年秋の『奥秩父ツーリング』のレポートの続きになります。


その1は⇒コチラ


1泊目の宿とした、秩父市の旧大滝村にあります『民宿 みたけ』の紹介です。




秩父市中心部から国道140号線を山梨方面へ向けて走り、旧大滝村の中心部に本民宿はあります。市街地から離れるにつれて徐々に住宅が少なくなっていき、秩父の山懐へと分け入っていくのですが、秩父鉄道の三峰口を過ぎるといよいよ人気がなくなり、気温もぐっと低下します。住所の詳細と国道沿いにその民宿はあるという情報だけを頼りに進んでいくのですがそれらしき宿は見つからず、道の駅『大滝温泉』にていったん休憩することにしました。住所的にも目的地に近づいていることは間違いないと思いながらももう少し進んでみるかと走り出した途端、1分もかからないうちに『民宿 みたけ』を発見しました。道の駅からも徒歩圏内の距離です。



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国道に面した位置に専用駐車場があり、そこから少し上のほうに進んでいくと民宿が見えてきます。いかにも百姓という風貌の穏やかそうなご主人に迎えられ、部屋まで案内されます。この日は私以外に宿泊者はおらず、二階の一番奥の部屋に通されます。まだ10月とはいえ奥秩父の夜は冷え込むので、既にこたつがセットされていました。この部屋を含めて6畳の部屋が合計3部屋それぞれ襖で仕切られている格好で配置されています。建物自体は結構大きく、二階全体が客間のようになっているので、ここ以外にも座敷部屋はいくつかあるものと思われます。


さて、部屋に腰を下ろして一息つくわけですが、既に外は暗く周囲には何もないので、風呂に入るか飯を食うかTVを見るかくらいしかやることがありません。道の駅『大滝温泉』が近いのでそこに風呂に入りにいこうかと考えていたのですが、ご主人が「一階の風呂に温泉を沸かしておきましたから、温かいうちにどうぞ。」というので早速入ってみることにしました。



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浴室入り口には『奥秩父大滝温泉 三峯神の湯』の張り紙。実際に浸かってみると肌のすべすべ感といい確かに温泉であり、身体の芯まで温まりました。風呂上がりにご主人に聞いてみると、この三峯神の湯というのは三峯神社内の興雲閣という宿坊にある温泉の名称で、源泉を自宅にひいているのではなく村内の温泉スタンドから温泉を買って入れているとのことでした。通常の水道水を使えば済むところを、わざわざ温泉をためてくれるなんて非常にありがたい心遣いです。

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(※余談ですが、翌朝出発して暫く走ると、それらしき温泉スタンドがありました。)




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部屋に戻ると隣の部屋に布団が敷いてあり、ご主人が夕食を運んできてくださいました。そしてこの夕食が度肝を抜かれるほどボリューム満点のメニュー構成!!アジフライ×2、ほうれん草の胡麻和え、肉じゃが、胡瓜の浅漬け、マグロの山かけ(ヤマイモの下にマグロのブツ切りがごろごろ)、焼き魚、そして極めつけは素麺3玉という充実しすぎの内容。おまけにご飯も炊飯ジャーごと持ってきてくれて好きなだけ食べてくれという大盤振る舞いなのであります。焼き魚は既に冷め切っていて、山かけの下のマグロも赤身が一部どす黒いなど惜しい部分はありますが、一方でアジフライは熱々の揚げたてで白飯も抜群に美味いし、何と言ってもこのボリュームですから何も文句は言えません。


たらふく食ったら一気に眠くなってしまい、すぐに就寝しました。




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翌朝。鯵の開きにみそ汁にマヨネーズ大盛のさやえんどう、そして相変わらずの炊飯ジャーごと持ってきてくれる何度でもおかわり自由の白飯という朝食。実は『民宿 みたけ』に予約の電話の入れたのは宿泊日の3日前。直前の予約だったからか電話口で話すご主人はあまり乗り気ではないご様子で、渋々予約を了承したという感じだったのですが、その理由が今朝分かりました。実はこの日親戚で一周忌法要が行われるとのことで、朝早くに家を留守にしなければならないということでした。昨晩のうちに朝飯の時間を伝えられていたのですが、漸く事情が分かりました。朝食を済ませ、出発の支度を進めていると、何やら息子夫婦らしき一行が礼服姿で来たりと人がゾロゾロ集まってきました。これはのんびりしてる場合じゃないと察知し、急いで荷物をまとめ会計を済ませて撤収しました。


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忙しい中でボリューム満点の食事や温泉を準備していただき、これで1泊2食6,000円なのですからたまりません(これでも値上げしていて、少し前は5000円だったらしい)。二階の客間と一階の家族居住空間がしっかり分けられていて、部屋の目の前にはトイレや洗面所、お風呂に行くにも専用の階段があるので、互いに干渉せず気を使うことなく滞在することが出来ます。民宿にありそうな交流や語らう時間はほとんど無いのですが、きっと自分の部屋で食事をさせてくれたのもツーリングの一人旅の身である私を思っての配慮だったのではと思います。登山客のグループなどではまた少し対応が違うのではないでしょうか。つかず離れずのほどほどの距離感が妙に心地よく、まるで自分の家であるかのように快適に滞在することが出来、非常に価格満足度の高い宿でありました。


<2013.10.12宿泊>


■ 民宿 みたけ   

埼玉県秩父市大滝940

tel:0494-55-0048

1泊2食:6,000円

特記事項:三峯神の湯の温泉、ボリューム満点の食事

| 13年10月/奥秩父 | 21:22 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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永い眠りからの覚醒

皆様、大変ご無沙汰しております。



毎年5月19日は、『日本一周出発記念日』となっておりまして、2009年の5月に旅立ったあの日から丸5年を迎えました。こうして毎年新緑の季節を迎えると、否が応でも旅の記憶が蘇ります。新緑を心地よく突き抜ける爽やかな風、雨の匂い、田植えが終わったばかりの水田から聞こえてくる蛙の合唱・・・。毎年何一つ変わることなくやってくるこの季節の風景は、自分自身の旅への情熱を再認識させてくれます。


昨年夏以降はブログの記事投稿頻度が激減し、今年に入ってからは完全に更新がストップしてしまいました。ついにはスポンサーが掲載されてしまうほどの放置っぷりになってしまった訳ですが、それでも毎日40人前後のアクセスをいただいており、定期的に覗きに来てくださる方がいるのだと思い、大変嬉しく感じていました。




いつまでも塞ぎこんでいても仕方がないので、更新を止めていた間のあれこれをご紹介したいと思います。


新しい職場に環境を移してスタートした一年でしたが、結論から言えば本当に地獄のような一年でした。できることなら、この一年を無かったことにして欲しい、私の人生経歴から抹殺して欲しいと思うほどです。長く働いていけて仕事と旅を両立できる環境を求めての決断でしたが、現実はそう甘いものではありませんでした。


失敗の最大の原因は、仕事を選ぶにあたって判断材料とする勤務条件の内容と、就職後の実際の勤務環境に大きな隔たりがあったということです。以前にも本ブログで少し紹介しましたが、私の仕事の勤務条件を簡単に述べると、①勤務時間⇒8:00~17:00、②給与体系⇒月給制、③時間外勤務⇒なし、④休日⇒土日祝、GW、夏季、年末年始というものでした。初めのうちは前職よりも給料が減りますが、この条件なら仕事と旅をしっかり区別して両立できると信じて転職を決意しました。


しかし実際は違いました。まず17:00で仕事をあがれることは皆無でした。夏場に北海道ツーリングを計画し、金曜日に仕事を終えてそのまま大洗に直行するという時にどうしても17:00にあがらねばならない事が一度だけあったのですが、退勤する際に上の人間から「随分早いね」と言われたときには驚きました。当然周りの職員も17:00以降も当然私がいるものと思って仕事をしていますから、その時は週の初めから周りの人間にしつこく根回しをしていました。平均すると退勤時間は20時~21時。一日平均3~4時間程度の残業ということになります。さらに驚いたのは給与体系が違うということです。勤務条件では月給制となっていましたが、実際は日給制でした。最初は試用期間等もありますから、そのうち体系も変わるのだろうと楽観視していたのですが、一向に変わる気配の無いままズルズルいってしまいました。日給制ということは勤務日数がそのまま給与に反映される訳ですが、私は土日祝が休みだったのでGWのある5月や夏期休暇をもらった8月等は給与が激減し、貯金を切り崩していかねばならないほどでした。そして極めつけは、残業代が一切出ないということです。私の頭の中には残業代が出ないという発想すらありませんでしたから、時間外勤務をした分は支払われるものだろうと思っていたのですが、一向に支払われる気配はありませんでした。単純計算すると一日3時間の残業とすれば月60時間、中には早朝から深夜まで働きづめの月100時間超の残業をする職員もいました。仕事は人生の3分の1を占める重要な事柄な訳ですが、その仕事を選択する上で判断材料となる勤務条件が実際とは異なるというのですからこれは話になりません。我々はその情報を信じて興味を持ち応募する訳ですから。毎日毎日仕事でクタクタになって帰宅するのにそれに見合った報酬も無い、身体的な疲労に加えて会社に裏切られたという精神的な疲労が重なり、いくら土日休みだといっても旅への気力は次第に薄れていきました。何せ貯金を切り崩さなければ生活できないような薄給な訳ですから、旅につぎ込める資金的余裕も次第になくなってきました。


さて、結論ですが、新しい年度が始まり、私は新たな道を歩むことにしました。会社には何度も抗議をし、労基署にも相談に行きましたがそれらしき改善は見られず、半ば喧嘩別れのような形で昨年末に仕事を退職しました。そして、以前の仕事に復帰しました。一度辞めた会社に拾ってもらった形になります。私にとってこの1年とは一体何だったのでしょうか。情けなく惨めでやりきれません。

しかし、これもまた人生でしょう。仕事を辞めて日本一周するなど好き勝手やってきた訳ですから、これくらいのしっぺ返しは当然といえば当然かもしれませんね。むしろ、拾ってもらっただけありがたいと思わなくてはなりません。自分を必要としてくれているところがあるというのは、本当に幸せなことです。安定した仕事と収入を得ながらも、長期休暇の取得を含め旅に没頭できる時間的・精神的余裕が創出できる、仕事と旅を両立させた理想のライフスタイルの確立を目指して、またここからスタートしたいと思います。


今回の一件を経験して改めて実感したのは、心の平穏こそが旅の礎であるという考えです。日常生活の維持が困難なほどに生活が困窮していたり、仕事仕事の毎日で時間的余裕が作れないといった理由では旅どころではありませんが、かといっていくらお金や時間があったとしても、精神が安定していなければ純粋に旅は楽しむことができないと思うのです。将来に対する漠然とした不安、家族の病気や介護、友人や恋人との関係の悪化、自分自身の怪我や病気や事故、休みの日でもいつ会社から呼び出しを食らうか分からない様な環境、休み明けの仕事や抱えている案件の心配事など・・・。それらの要因が心を支配していれば、精神的な余裕がなくなり旅先の景色も変わってくるでしょう。しかし、よくよく考えるとそういった不安や悩みが一切ないという人はほとんどいないはずです。皆さん、何かしらの事情抱えながら生きているものです。そうであるならば、日常的な心配事はそれはそれで受け入れつつも、それらに動じることなく、人生を達観できるような強い気持ちと度胸、そして何よりも日常のあれこれを超越したブレない旅への情熱こそが必要であると考えます。きっと私はまだその境地に達していないのでしょう。まだまだ私は旅人としては半人前です。


とりあえずブログの更新を再開して、『旅に生きる日々』を綴りながらゆっくりと旅人に染まっていきたいと思います。更新停止中もちょこちょこ活動していたのでそのあたりの報告から始めていきたいと思います。有給取得が間に合わないという事情もあり、残念ながら今年の夏の北海道行きは今のところ予定していません。暫くの間は日帰り~2泊程度の活動が中心になると思います。毎日毎日何かしら更新というのではなく、、気が向いたときに更新するくらいのつもりで気長に頑張っていきますので、今後とも末永くお付き合いくださいませ。

| 日常の話題 | 21:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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