ニッポン風めぐり紀行

各種旅行記、バイクツーリング、乗りものレポ、老舗旅館や街道探訪など、『旅に生きる日々』を綴るブログです。

2013年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年08月

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日曜昼間の公園でテントを張る不審者

つまり、それは私のことです。。。




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北海道ツーリングまでいよいよ2週間を切りました。



貴重な休みを利用して公園でテントの試し張りなどを・・・・・。








えっっっ!?


何かテント違くね??


形違うしデカいし幕体が青いじゃねえか。









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そうです。私が愛用してきたのはコールマンのツーリングドームST(たぶん)。日本一周のためにオークションで格安で購入したものです。全室はほぼ無いに等しく、胡坐をかけば天井に頭がつくくらいの高さで、室内は荷物を置いて人間が一人寝そべればそれできつきつという程のコンパクトなものでした。







緑色の極小テントからでかい青色のテントへ。



詳細はまた後日。。。
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| 日常の話題 | 23:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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私の故郷に大雨襲来

ここ数日、山口・島根の集中豪雨の被害をニュースでやっているが、よく考えたら私の故郷じゃねーか!!



津和野、須佐、阿東、徳佐、阿武・・・。ニュースで登場する場所はいずれも馴染みの深い土地の名であります。いずれも高齢者が多く人口希薄で山深い地域。青々とした夏の田園風景に茶褐色の石州瓦の家屋に山口県特有の黄色いガードレール。頭に思い浮かぶ故郷の風景とは裏腹に、テレビで映し出されるのは豪雨にのまれる故郷の風景でした。






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私の実家は島根県石見地方の西部。津和野町に隣接する益田市であります。テレビではそれほど登場する地名ではありませんが、市内を流れる高津川は中国山地の奥深くの六日市に水源をもち、険しい山地を蛇行して日本海へと注ぐ大河です。益田市内の雨がそれほど多くなくても、高津川上中流部の徳佐や津和野で大雨が降ればとてつもなく増水するというのはこれまでの経験から分かっていましたから、凄まじい被害を目の当たりにすると、これは下流域も危ないんじゃないかと危機感を抱いたわけです。特に私の実家は高津川のすぐそばにあり、川幅が広くて堤防も高いので決壊はまず考えられないのですが、そのぶん流量は多いのでもし決壊すれば農地の広がる平地にある私の実家は助かる術はありません。島根県西部の住民の間で常々語られるものとして「昭和58年豪雨」というのがあります。私はこの時2歳だったのでまるで記憶はないのですが、街全体が浸水するという危機のなか、母親は私をおぶって必死に山に逃げたというのをよく聞かされていました。テレビで豪雨の様子を見ているとこれは尋常じゃないという嫌な予感がして、「昭和58年豪雨」の事がふっと頭をよぎりました。


不安を抱えたまま実家に連絡を取ってみると、「せやぁーなーせやぁーなー(大丈夫大丈夫)」という明るい返答。川は凄まじく増水しているようですが、我が家の住人はいたって元気なようでなんだか拍子抜けしました。この先もう一度大雨が降ると予報が出ていたのでまだまだ気は抜けませんが、故郷の人たちの平穏な生活と美しい風景だけは奪わないでほしいと願うばかりです。

| 日常の話題 | 23:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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小笠原ユースでの超絶奇跡の出会い

随分と期間が空いてしまったが、小笠原ユースホステルでの奇跡的な再会劇を紹介したい。


小笠原上陸初日。小笠原ユースホステルでは、夕食後に顔合わせの意味も込めて自己紹介の時間が設けられている。一人旅が集まりやすい宿の性格上、お互いの素性をさらけだして仲良くなろうというねらいもあってのことだ。私はその自己紹介の中で、かつて原付で日本一周したことを皆の前で話した。とにかく旅が好きで旅に命をかけている奴なんだということを知ってもらう意味で喋ったのだが、これが奇跡の始まりだった。



その日の晩だったか翌日だったか忘れてしまったが、ユースで働くヘルパーさんの一人が日本一周のことで私に話しかけてきてくれた。聞けば、私と同じ時期に彼も日本一周をしていたのだという。此処は旅好きが集まる場。日本一周経験者もきっと集まりやすいのだろうと私は能天気に感心していたのだが、どうやら彼の直感は私の想像よりも細部にまで迫っていたようだ。





「2009年ですよね??」


「50ccのスクーターですよね??」


「ブログかなんかやってました??」



彼の直感はやがて確信へと変わることになる。彼の質問を聞いているうち、私はある旅人のことを思い出した。私と同じ時期、125ccのバイクで日本一周をしている旅人がいたのだ。移動手段も年齢も旅の期間も向かう方角もほぼ一緒だったうえ、登録しているブログ村の日本一周ランキングでも同じような位置にいたものだから、意識的に毎日のように彼の動向をブログで追っていた。お互いにコメントを寄せたり連絡先を交換したという訳でもないのだが妙に気になっていて、もしかしたら何処かで出会えるかとも思ったが、結局のところ旅の途中で出会うことはなかった。







そして私の記憶は次第に確信に変わる。






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私が頭の中で想像しているブログの中にいる彼と、目の前にいる彼とを繋げたのはユースの前に停まっていたバイクだった。玄関先にスズキのアドレスV125が停まっていたのをふっと思い出した。埼玉県某市のナンバーで車体には『東北魂』や『小笠原』のステッカーが貼ってある青色のバイク。何故小笠原に埼玉登録のバイクがあるんだろうくらいしかその時は感じなかったのだが、そのバイクこそが私の記憶を呼び覚ましてくれた。私の記憶の中にあるブログの中にいる彼と目の前にいる彼と青色のバイクが一点で繋がったのだ。


私は彼のことを半ば確信的に心の中で捉えつつ、『15,000kmの・・・』という自らの日本一周ブログのタイトルを切り出した。そして、やはり彼は彼だった。『日本一周放浪記』というブログで日本一周の旅をしていた彼。2009年の7月~10月のわずか4ヶ月の旅だったが、8月の北海道が私の旅路とほぼ同ルートだったこともあって頻繁にブログを見ていたのでしっかりと記憶に残っている。PC内に保存されている膨大な旅写真を見させてもらうと、かつてブログで閲覧した旅の記憶が呼び起こされ、まるで空想旅行をしているような気分になった。ちなみに彼は日本一周の最終章としてバイクと共に小笠原を訪れていて小笠原ユースに滞在している。そして今こうして小笠原ユースのヘルパーさんとして働かれている。偶然そこに私が泊まりに来たことで生まれた偶然を、奇跡と呼ばずして何と言うのだろうか。





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彼は今、小笠原ユースでの日々を終えて埼玉に戻り、『室蘭製麺所』という名のうどん屋を開業させている。小笠原でのヘルパー生活は飲食店開業にあたっての修行の意味もあり、彼は自分の店を旅人やライダーの憩いの場にしたいと考えているようだ。日本本土から大海原を隔てた南の島のユースホステルでは、旅人同士が出会いと別れを繰り広げ積み重ねてきた。小笠原ユースが旅人の集う場として存在しているように、彼の店が多くの旅人で賑わう場として成長して欲しいものである。


日本一周を経験した者どうしが小笠原を舞台に出会い、またそれぞれの道を歩んでいく。旅の魅力の一片を再認識した小笠原での出来事だった。

| 13年3月/小笠原諸島 | 21:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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B'z(ビーズ)のチケットは取れたのか?

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5月6月あたりに本ブログでも取り上げ、何が何でも絶対に参戦したいと騒ぎ捲くし立てていたB’zのライブチケットがどうなったのかという件であります。



6月より始まったホールツアー。薩摩川内、豊岡、名取、富士、そして極めつけは隠岐島というように、B’zのような超有名アーティストが絶対に行かないような地方都市での催行が勢揃いしたツアーで、都城、南魚沼、松本など日程的に参戦可能な都市に的を絞ってローチケ端末で10時打ち(10時の発売と同時に予約をかける)を試みたのですが敢え無く撃沈。各会場は収容人数が少なく、地元優先でチケットが配分される中で一般発売からチケットを獲得することは難儀の極みだったようです。ここは大人しく引き下がります。



気を取り直して8月から始まるスタジアムツアーでのチケット獲得に全てをかけました。一般発売は6/22(土)だったのですが、そんなものは充てにならないのでとにかくありとあらゆる先行予約に応募するという作戦に出ました。札幌、名古屋、福岡、大阪、横浜での催行で、第一の候補は自宅から最も近場の横浜であります。横浜公演は9/21(土)、9/22(日)の2日間なのですが、21日はB’z結成25周年の記念日、22日はツアー最終公演ということでチケット争奪最激戦区になることは確実。なので特に場所を指定せずにとにかく先行予約に応募しました。ぴあやローチケやイープラスの先行予約はもちろん、主催者先行、セブンイレブン特別先行、ツタヤ先行、FM横浜先行、神奈川テレビ特番内での特別電話予約、名鉄特別先行など自分でも全て把握しきれないほどの先行予約に応募しました。






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その結果、8月24日(土)の札幌公演と9月1日(日)の名古屋公演のチケットを確保することができました。これで初B’zライブ参戦決定です。現状では9月1日(日)は職場の都合で行けるかどうか不透明なところがあるのですが、B’zがベスト盤を引っ提げてのライブをするのは金輪際ないかもしれませんので、職場がどうなろうが2週連続で参戦したいというのが本音です。ちなみに8月9日~18日まで北海道でのツーリングを予定しているため、ツーリングの次はB’zと2週連続北海道ということになります。今年は何かと暑い夏になりそうです。

| 日常の話題 | 21:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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伊豆・箱根 ツーリング後記

先週の3連休で敢行した伊豆・箱根ツーリングについて簡単にまとめてみました。

【1日目】

経路:自宅→都内→R246→R467→P32→R134→R1→R135

走行距離:170km

主な経由地:江ノ島、小田原、根府川、熱海、伊東

立寄温泉:伊東駅前 湯川第一浴場 子持湯

宿泊地:伊東 @ゆう遊空間 伊東店

【2日目】

経路:R135→R414

走行距離:182km

主な経由地:伊豆高原、熱川、河津、下田、天城峠、伊豆長岡、沼津

立寄温泉:伊豆長岡共同浴場 長岡南浴場

宿泊地:沼津 @ゆう遊空間 香貫店

【3日目】

経路:R1→R136→P11→P20→R1→P45→R246→都内→自宅

走行距離:135km

主な経由地:沼津港、函南、十国峠、箱根



今回のツーリングで得た最大の教訓は、真夏にテント泊などすべきではないということです。そんな初歩的なこと今頃気づいたのかと言われそうですが、よくよく考えてみると私の野宿・キャンプ歴のなかで暑い盛りにテント泊を試みたのは実質今回が初めてだったみたいです。2009年に日本一周したときは5月6月に西日本をめぐり、7月は一時帰宅して7月下旬に再出発。8月はずっと北海道にいたので本州の真夏の夜の暑さとは無縁でした。7月の下旬や9月に東北各地でテント泊をしてはいるものの、この2009年というのはとにかく涼しくて雨が多かった年で、暑くて暑くて眠れないといった経験はほとんどありませんでした。日中のジリジリとした日差しの中を走っているとそれだけで体力が奪われ、なおかつ夜になっても気温が下がらず、蒸し風呂のようなテント内で苦痛と不快に包まれて眠るなんてことはまさしく苦行であり、旅の楽しみのかけらもありません。出発前に野宿地候補として挙げていた伊東の道の駅が夜になってもたいそうな賑わいでテント泊に不向きであることが分かると完全に意気消沈。この伊豆半島という土地は無料もしくは安価で利用できるキャンプ場が皆無であることに加え、世の中は3連休で宿は何処もかしこも割高で利用できず、もはやネットカフェくらいしか選択肢が無かったというのが結論でした。夏場のツーリングは計画が立った時点で早めに宿を確保するというのが鉄則であると悟った次第です。



もうひとつの教訓は一日の走行距離です。日本一周の道中、1日200km~250km程を走っていました。バイクを置いて一時帰宅を予定していた北海道の終盤には、千歳から函館まで300km以上を走ったこともあります。しかもこの時は50ccでした。今では110ccに乗務するようになりましたが、1日200km以上を走ろうなんてとてもじゃないが思えなくなりました。その土地の食事や温泉を楽しみ、ところどころ立ち寄りながら無理なく旅を進めるには、およそ150km~180kmあたりが理想的かと思うようになりました。自分に適した一日の走行距離を把握しておけば旅の計画立案も容易になります。


ほぼ無計画で出発した(出発するかどうかもギリギリまで迷った)今回のツーリングですが、結果的には無理のない走行距離の範囲内で海山を堪能できた非常に理想的なルートでした。湘南江の島にはじまり、半島南部の下田に至るまでひたすら東伊豆の海岸線に沿って走った訳ですが、下田からは中伊豆の深緑の天城街道を北上しました。海から山へと風景が一変する訳ですが、変化に富んだ日本の景観を体感することこそツーリングの最大の魅力であるといえます。このように理想的なルートの中でその土地の海山の幸を堪能し、伊豆各地に湧く温泉に浸かり、結果的には非常に充実した旅となりました。

| 13年7月/伊豆・箱根 | 15:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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伊豆・箱根ツーリング その3

今回のツーリングの積載に関してはまったくの積み損!!使いもしないテント用具一式をただ積んでいるだけという虚しさ・・・。多くのライダーとすれ違ったが、テント用具・キャンプ道具一式を積んでいるバイクをほとんど見かけなかった。夏は野宿の季節ではないということが改めて証明された。




■ 駿東の海幸山幸

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海鮮を求めて早朝の沼津港にやってきた。昨日の伊東では刺身を食べたので沼津では丼物を選択。お邪魔したのは大勢の客で朝から賑わう「魚河岸 丸天」。名物の海鮮かき揚げ丼も捨てがたかったのだが、カウンター席の先客が食いきれずにグロッキー状態になっているのを見て我に返り、海鮮勢ぞろいの丸天丼を注文。

カウンターの目の前には山積みにされたカサゴの唐揚げ!俺を食ってくれと言わんばかりに私のほうを凝視される中で丸天丼登場。白飯の量は思いのほか少なめで、その上に彩られる海鮮ネタが種類豊富で量も多いので、バランスを考えて食さなければ最後に具が残ってしまう。鮪、サーモン、イカ、海老といった定番ネタに加え、桜海老やシラスといった駿河の食材もふんだんに盛られている。そしてセットでついてくるアラ汁が丼に引けを取らないくらい抜群に旨かった。

この店のもうひとつの見どころは店員陣だ。丸天は朝7時から夜の9時くらいまで営業しっぱなしという凄い店で、有名店だから今日のような休日なら朝から晩まで客足が途絶えることは無いだろう。厨房を仕切っているのは男性陣で、揚げ物担当や刺身担当など自身の役割をてきぱきとこなしつつも客に丁寧に挨拶をしてくれる姿には雑多な印象の厨房でありながらも美しい振る舞いが見られて実に気持ちが良い。それに比べてホールを取り仕切る60代くらいのおばちゃんたちは非常に忙しなくてなおかつ雑!だからといって接客がなっていないとか感じが悪いというのではなく、ホールの様々な作業をリズムや感覚で乗り切っているようなところがあって、おばちゃん同士の会話や厨房とのやりとりを聞いていると実に面白い。店内は50ほどの席数がありただでさえ忙しいのに、どこか要領が悪そうなやりとりが忙しさを助長しているような気がしなくもないが、これはこれでこの店らしさなのか。


駿東の山の幸というか高原の幸であるのが丹那牛乳。海から山へ美味しい物を求めて旅をするなんて贅沢この上ない。丹那牛乳の工場に隣接した酪農王国オラッチェにてソフトクリームと牛乳をいただく。搾乳体験や動物とのふれあいができる施設で、周囲を山に囲まれた長閑な高原盆地のような風景も実に美しい。暑いのは暑いのだが、湿気を多く含んでいたじとじととした沼津市街地の暑さとは異なり、清涼感のある心地良い空気に包まれていて非常に気持ちが良かった。




■ 十国峠・箱根峠

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ツーリングの締めくくりは駿河国から相模国へ至る壮大な山岳ルート。まずは眼下に旧国十州を見渡せることから名がついた十国峠を訪問。せっかくなのでロープウェイで頂上まで登ってみたのだが晴れてはいるもの全体にガスがかかっていて富士を仰ぐことはできなかった。このあたりには伊豆スカイライン、湯河原パークウェイ、トーヨータイヤターンパイクなど原付では通行不可の有料道路が多いのだが、一度バイクで走ってみたいものである。


箱根峠を越えて東海道を東進し、箱根関所跡や芦ノ湖周辺を訪問する。この箱根という土地だが箱根湯本近辺は訪れた記憶はあるものの、芦ノ湖周辺を訪れるのはまったく初めてであり、箱根という場所がどんな雰囲気なのか実に楽しみだった。箱根関所跡もその周辺も観光地・保養地として賑わいを見せていたが、かつて此処は多くの旅人が往来した歴史ある交通の要衝である。関所跡や資料館を見学したのだが、幕府が箱根を重要視していた意味や宿場町としての箱根の賑わいぶり、当時の旅人の所持品等が展示されていて興味深かった。芦ノ湖を周遊したり千石原方面へも行きたかったのだが、いよいよ時間がなくなってきたために断念して今回の活動はすべて終了。東海道を東進して小田原に抜け、あとはただすたすら東へ向かって爆走して夕刻過ぎに無事に帰宅した。




| 13年7月/伊豆・箱根 | 20:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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伊豆・箱根ツーリング その2

伊東市内のネットカフェを朝6時に出発。やはりこの時期はテントを張って野宿なんてことはやらないほうが無難である。北海道内や標高の高いキャンプ場なら話は別だが、とてもじゃないが寝られないだろう。





■ 伊東で朝飯

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昨日はほぼ一日移動で潰れてしまい地場の食事を堪能できなかったので、伊東で朝からやっている食事処に狙いを定める。とはいえ早朝から営業している店というのは限られていて、少し熱海方に戻った場所にあるふしみ食堂か伊東漁協の目の前にある浜善のどちらかになるのだが、結果的に浜善を選択してこれが大正解だった。

朝7時58分の開店一番乗りで入店すべく、10分前から店の前で待機。浜善は伊東魚市場の目の前にあり、ご主人は伊東魚市場で仲買人をやられているとあってこれは期待できる。ご主人のほか店を切り盛りするのは3人の女性陣。店に通されると「市場の人が来てうるさくなっちゃうかもだけどいいかしら??」という一言。そんなのは全然構わないし、魚を生業とする地元の人間が足繁く通う店だということを示しているからさらに期待が高まる。昼時には丼ものを出しているのだが、朝は刺身定食や焼魚定食など4種類ほど。刺身定食を注文し、ご主人目の前のカウンター席でバイクで旅をしていることなどを話しながら料理が出てくるのを待つ。

そして、この刺身定食が抜群に旨かった。鯵、鰹、シイラ、しめ鯖と夏の魚がずらりと並ぶ。そして最も感動的な味わいだったのが左下の合鰤(あいぶり)という魚だ。料理が出される際にご主人が丁寧に説明してくれるのだが、合鰤という魚は入荷が稀でまとまった数が獲れないため市場に出回ることが少なく、値段がつかないか限りなく安価で地元用に取引されるのだそうだ。合鰤と名がつくも鰤ではなくアジ科の魚。鯵のように輝くような透明感のある身ではないものの、口の中でホロホロと溶けていく食感はこれまで食べたどの魚とも違う独特なものだった。それとは別に刺身をひと炙りする工夫、刺身によって切る厚さを変えていて且つ切れ込みを入れる工夫、そして盛り付けの美しさ。ご主人の様々な思いが込められた渾身の一作のような気がして、足繁く通いたいと思わせるお店だ。しかもこれで800円で出しているというのだから驚くほかない。美味しい魚をありがとう。




■ 下田白浜海岸

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湘南から伊豆の下田に至るまで海岸線を南下していく中で無数の海水浴場を目にしてきた訳であるが、下田市街地の手前にある白浜海水浴場の賑わいたるや凄まじいものだった。随分と前から渋滞が始まり車はほとんど進まない。白浜海水浴場は国道を挟んだ向かい側に駐車場やコンビニや飲食店が多数あり、海水浴客がひっきりなしに道路を横断する。駐車場を探して右左折する車も当然多い訳で夏場は大渋滞必至の地点らしい。水着の姉ちゃんがうじゃうじゃいるので見惚れて追突事故を起こさないよう要注意である。




■ 天城越え

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海岸線の道もいよいよ飽きてきたので、下田からは山間部を通る国道414号の天城街道を北上する。海の道から山の道へ。空気も色も匂いも、同じ道なのに一変する。深く険しい森の中を走っていると、突如として出現するのが七滝に架かるループ橋だ。特に下からの眺めが圧巻で、車が通過するたびに轟音が響き渡るさまはまるで轆轤を巻く大蛇が唸りをあげているようで迫力がある。

その先にある天城峠ではもちろん旧天城トンネルのある旧道側を選択する。と、ここまでは良かったのだが旧道のほとんどの区間が砂利道だということを知らずに突入したものだからいつパンクするかとひやひやしながらの走行だった。砂利道だと分かった時点で引き返せばいいものを、一度決めた道を突き進んでしまうのはバイク乗りの悲しい性かもしれない。

明治後期に完成した天城山隧道は歴史を感じさせる石組みのトンネル。450mとそこそこの長さがあるのだが隧道内は非常に狭く車同士の離合はまず不可能で、車対バイクでぎりぎりくらいか。隧道内はパネル式の明かりではなく橙色のガス灯が照らされ、霧がかかってうす暗く冷たい空気に包まれた隧道内は幻想的な雰囲気。トンネルを抜けたその先には、別世界が待ち受けているような感覚さえする。





■ 時を旅する

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旅をしていると、その中でも特に好きな時間帯というのがある。ひとつは朝。4時とか5時に起床して支度を済ませ、朝の張りつめた空気の中を颯爽と駆け出す。人々が動き始める前の静かな時間を独り占めできるのが何よりの贅沢であるという思いは今も変わらない。

そして、もうひとつ好きな時間がある。それは夕暮れ時だ。伊豆長岡の長岡南浴場という公衆浴場で風呂に入り、汗を洗い流し日焼けした身体を癒した。体のほてりが覚めないままバイクで走ると風が非常に心地よく、これに夕暮れ時というタイミングが合えば一日の締めくくりとしては最高である。赤く染まる茜空の下、カラスが鳴きヒグラシが鳴き人々が家路を急ぐ町の中をバイクで駆けるというのが結構好きなのだ。昨日利用した伊東の温泉もそうだったが、伊豆の温泉はどこも泉温が高めで無味無臭の単純泉で一見特徴がないようにも思えるのだが、特筆すべきは風呂上りの肌のすべすべ感で、しかもこれが長時間持続する。バイクで走っていると火照った身体とポロシャツの間を心地よい風が抜けていき、そこに夕暮れ時の町の風景が重なれば言うことなしである。


二日目の投宿の地は沼津。三島駅近くのビジネスホテルか沼津のネットカフェかで迷ったのだが翌日のことを考えて沼津にした。もちろん狙うは沼津港の朝である。

| 13年7月/伊豆・箱根 | 21:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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伊豆・箱根ツーリング その1

夏到来を告げる3連休が幕を明けた。夏を感じられる旅としてふさわしい土地はどこだろうと考えるわけだが、カブで行くという条件で真っ先に候補に挙がったのは伊豆だった。そもそも伊豆という土地は大学時代に遊びに行って以来およそ7~8年くらいは足を踏み入れた記憶がない。今年のGWをはじめとして長らく候補に挙げてきたにも関わらずなかなか実現に至らなかったのだが、漸く今夏実現の運びとなった次第である。






■ 旅立ち前の憂鬱
しかし、連休初日の今日になっても何故かあまり気分が乗らない。最大の要因は暑さだ。梅雨明けが発表されてからのこの一週間、連日の真夏日・猛暑日を経験したことで旅への意欲が一気に萎えてしまった。灼熱の真夏に旅をすべきではないというのを昨年の鹿児島で教訓として得てはいたものの、やはり3連休なんてそうあるものではないから取り敢えずは計画を立てるのだが、ギラギラと燃える太陽の下をカブで走るなんて想像するだけでぞっとする。キャンプ道具を一応は準備をしてはみたものの、連日の熱帯夜だというのに蒸し風呂のようなテントの中で寝ることなんてできるのか。一体どんだけ暑いんだろう・・・。出発直前のクーラーの利いた部屋の中で、私の気持ちも身体も躊躇してしまうのである。

数十分の自問自答の末、私が出した結論は「旅立つ」だった。それでも旅に出たいと思うこの気持ちは一体何処から来るのだろうか。旅に出ることがまるで宿命であるかのように私の気持ちは旅へと向かうのだ。本当に厄介なものである。






■ 湘南海岸に夏到来


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伊豆へ向かうにあたっての最大の難関は東京から横浜にかけての都心域に尽きる。ここをいかに時間をかけずに順調に抜けれるかが問題なのだが、東京ゲートブリッジという便利な橋梁があるお陰で東京・横浜と順調に走行し、最初の目的地に定めた鎌倉市の国道134号滑川交差点に到達した。ここまで来ればあとは海沿いの国道を西進していけば伊豆方面に繋がっている。由比ガ浜・稲村ヶ崎・七里が浜・腰越・片瀬江ノ島と湘南の海岸線を江ノ電を横目に見ながら走る。南太平洋に停滞する台風の影響もあって、サーファーにとっては今日は絶好の波乗り日和のようだ。







■ 根府川
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小田原まで順調に走ったところで、次の目的地の根府川を訪ねる。高度差の大きい急峻な断崖が相模灘に迫るという非常に迫力のある地形である。根府川駅も駅舎とホームの間に随分高度差があり、ホームから登っていく跨線橋の上部と同じ高さに駅舎があるというのが凄い。根府川は真東にひらけた断崖地形であるために蜜柑などの柑橘系の果実の栽培が盛んなようだ。急峻地形であっても石垣を積んで段々の栽培地を作り、蜜柑の木の間をまるで迷路のように石垣の小道が連なる。根府川の全景を鳥瞰できる地点はないかと小道を走っていたのだが、とある場所に絶好の展望台を発見。崖と海の間の狭域を国道135号と東海道線が寄り添っているのがよく分かる。






■ 熱海に関する意外な事実

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旅人と名乗っておきながら大変お恥ずかしい話であるが、私は熱海という土地を訪問するのは実質今回がはじめてである。熱海は東海道線で西に向かう際には絶対に通る場所だし、大抵の列車は熱海乗換えであるから熱海駅のホームには数え切れないほど降り立っているのだが、駅の外に出た記憶というのがなく、車を使って旅行や遊びで熱海を訪れた記憶も一切ない。全国各地に足を運んでおきながら、東京からわずか2時間足らず、1本の電車で訪問できるこの温泉地が初訪だというのは恥ずかしいような情けないような・・・。熱海駅前は大規模な再開発が行われ、新しく生まれ変わろうとしているようだった。一方で駅から直結の仲見世通り商店街などでは歴史を感じさせる部分も多かった。熱海は新婚旅行の旅先や首都圏から気軽に来れる保養地としての地位を築いてきたことで、古き良き温泉保養地の風景も多分に残されているのだろう。






■ 伊東の共同浴場
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夕方頃になって漸く伊豆の領域に到達。伊東(ちなみに伊東も初訪問)の共同浴場で汗を流すことにした。伊東駅前の造りは熱海と似ていて、ほぼ直結する形で湯の花通りという商店街が伸びている。その湯の花通りの入り口付近にあるのが共同浴場「子持湯」だ。伊東駅から徒歩1分かからない場所で温泉に浸かれるなんて素晴らしいじゃないですか。入口から階段を下った地下にあるという珍しい立地。子持湯には個室の家族風呂が3部屋もあり、私が階段を下りていくと若いカップルが家族風呂利用の説明を受けていた。こりゃタイミングが悪かったと思いつつも番頭のおばちゃんの説明を聞いていたのだが、「時間制限はありませんから!!」、「いつまででも使ってくれて構いませんから!!」、「気にしないで使ってね!!」と時間を気にするな的な言葉を何度も念押しするものだから、番頭と私に挟まれたカップルはまるで公開処刑のような恥ずかめに。動揺した私も何故か男湯を通り越して女湯のドアをガラガラと開けて入ってしまうという失態を犯してしまい全く踏んだり蹴ったりだった。しかし風呂自体は大変気持ちがよいもので、無味無臭の透明な温泉で風呂から上がっても肌のスベスベ感を実感できる。わずか250円でこんあ立派な温泉に浸かれるのだからありがたい話である。


こんな感じで1日目の活動は終了。出発段階では躊躇したものの、一度旅に出てしまえばこっちのものである。これまでと比べれば気温は若干低めで太陽の照っている時間も少なかったのでだいぶ楽だった(それでも両腕はがっつり日焼け)。さすがにこの暑さでは道の駅でのテント泊を決行する勇気もなく、そそくさと涼しいネットカフェに投宿して明日に備えることにした。

| 13年7月/伊豆・箱根 | 21:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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終演

15:30に無事に竹芝桟橋に着岸。


竹芝桟橋から浜松町方向へと伸びる道沿いの桜。小笠原へ向かうときは満開の少し手前くらいでしたが、既にほとんどの花びらが舞い散り葉桜状態のものが多かったです。



大門駅から都営線とメトロを乗り継いで帰宅しました。



本当にあっという間に過ぎ去った小笠原の滞在でしたが、小笠原の自然を満喫でき、思いもよらぬ素敵な出会いがあったりで、2月から続いた大規模活動を最後を締めくくるに相応しいものとなりました。とりあえずこれで一区切りつけますが、次なる旅への夢はすでに始まっています。しっかり働いてたまには息抜きの小旅行も入れつつ、大型二輪免許とバイクを買うという目標に向かって精進していきます。






以上、ここまで小笠原諸島をお送りしました。


ありがとうございました。

| 13年3月/小笠原諸島 | 22:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ぎょさんを脱ぐ

小笠原の旅もいよいよ終焉のときがやってきた。疲れだどっと出たのか帰路の船内ではほとんどの時間眠ってしまった。竹芝桟橋まであと2時間。東京湾を航行するおが丸の右舷には房総半島が霞んで見える。




小笠原では小学校の卒業式や離島する人を見送るとき、『アオウミガメの旅』という歌が歌われる。親ガメが命がけで産んだ卵が孵化し、島で生を受けたウミガメの子どもたちが大海原へと泳ぎだす。サメや海鳥といった危険の中を何とか生き抜いて、大きくなってまたこの島に帰っておいでという内容の歌詞が紡がれている。言うまでもないが、その歌詞は学校を巣立つ子どもたちや島を離れる人たちに重ね合わされている。おが丸が父島二見港を離岸するとき、島の人々は旅立つ我々に「いってらっしゃーい!!」と手を振りながら見送ってくれる。



「小笠原はずっとここに在る。いつでも帰っておいで。」



3月下旬という季節柄、島を離れる人たちも多く乗船していたに違いない。おがさわら丸を舞台として、いくつもの出会いと別れが積み重ねられてきたのだろう。


故郷がある。


これほど幸せなことはない。いつでも帰れる心の拠りどころがあるからこそ、人は人生という旅路を歩んでいける
のだ。


私にとって、この小笠原の旅の終焉は単に1つの旅の終わりを意味しない。沖縄船旅・北海道鉄道旅・東北 国道4号走破・そして小笠原。2月から続いた転職の合間を利用した一連の活動に終止符が打たれることを意味しているのだ。しかし不思議なことに旅が終わることへの寂しさというのがまるで無い。それはおそらく一連の活動に十分に満足でき、自分の中でしっかりとケジメがついている証だろう。ここで一区切りをつけ、4月から始まる新しい生活に向けて頑張っていきたいと思えるのだ。


下船のときが迫り、小笠原滞在以降ずっと履いていたぎょさんを脱ぎ、靴下を履いてスニーカーへと履き替えた。



ここから新しい旅がはじまる。

| 13年3月/小笠原諸島 | 22:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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