ニッポン風めぐり紀行

各種旅行記、バイクツーリング、乗りものレポ、老舗旅館や街道探訪など、『旅に生きる日々』を綴るブログです。

2012年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年06月

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相棒との別れ

3月下旬の話になるが、先の日本一周の旅はもとより、その後の日常生活の足として日々頑張ってくれていた原チャリの黒トゥディの調子が突如悪くなってしまった。


アクセルを回してもほとんどスピードが出なくなり、それでも無理やりふかせば、マフラーからパンパンと爆発音のような激音が出る状況。

たまらずバイク屋に持ち込んだところ、なんかいろいろな箇所が悪いらしく、まともに修理すれば新車が一台買えるくらいらしい。

ということで、大変に名残惜しかったが廃車することにした。


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振り返れば、コイツとの出会いは2009年1月。

原付日本一周を見越して購入した。中古車情報誌で見つけ、代々木八幡の方まで行って買い付けたもので、走行距離が6,000km、1年の自賠責付で確か68,000円程という大変にお買い得な車両だった。

あれから、19,420kmにも及ぶ日本一周の道中を故障トラブルなしで走り抜け、その後の生活の足としても大変に重宝した。


もうここまでくると、元を取ったとかいうレベルではない。


数々の思い出を作り出してくれた最高の出会いであり、夢を実現させてくれた『相棒』に感謝申し上げたい。
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| 日常の話題 | 23:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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旅人生備忘録⑦ 再出発

4月20日(金)付けで退職となり、土曜日はもろもろの準備にあて、日曜日に再び千葉県内へと戻ってきた。


ここからもう一度やり直しである。それを許してくれた家族や職場の人に感謝したい。


そして旅を楽しむ人生もここからが再スタート★


これまでも述べてきたが、とりあえず日本一周は置いといて、仕事と趣味のバランスを保ちながら、休みの日は思う存分に旅を楽しむという姿勢でいきたいと思っている。


復職してから1ヶ月が経過したが、これまで通り楽しく順調に仕事が出来ている。一旦部屋を片付けてしまったため、再購入が必要な家財道具の調達や室内をレイアウトし直す必要があったため、最初の頃はかなりバタバタしてしまったが、ようやく落ち着いて生活ができるようになった。


こうなれば、あとは旅を楽しむだけである。


本ブログも、再出発の意味を込めてリニューアルした次第だ。

旅ブログとはいえ、まだまだ内容は充実していない。2年以上経過していながら未だに未掲載の旅レポもあるし、バイクツーリングや珍スポット訪問に関してはほぼ活動ゼロの状態だ。とりあえずブログ上は宣言しておいて、これから活動レポを積み上げていくつもりである。


今回の記事をもって、約半年間に渡る激動の人生の回顧記事は終了です。


今後、旅的成分を増やしながら更新をしていきますので、末永くよろしくお願いします★



| 日常の話題 | 21:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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旅人生備忘録⑥ 苦難を乗り越えて

元の職場への復職が決まり、家族への話もついて、これで何とか落ち着くことになった。

あと一週間ほど働いてから退職となり、元の千葉県内のアパートに戻って再出発をきるつもりだ。


人生には良いときもあれば悪いときもある。

ここ半年間は、私の人生の中でも最も苦しかった時代といえる。ちょうど30歳という節目の時期と重なり、自分の人生と向き合うこととなった。それが逆にプレッシャーとなって追い詰められ、焦りながらの活動になってしまった。『旅』の視点から考えても、まさに『暗黒の時代』だった。この先の職業のことに時間をとられ、旅をする心の余裕などなく、純粋に旅を楽しめるような精神状態ではなかったのである。

しかしこれも人生だろう。

一連の苦しんだ経験があったからこそ、もっとリラックスして気軽に柔軟に焦ることなく冷静にものごとを考えて良いのだと思えるようになった。仕事と旅(趣味)とのバランスを考え、いかに両立できるか。人生を楽しく充実したものとする条件は、その一点に集約されるような気がする。人生楽しんだもの勝ちである。


家族に話を切り出した次の日、母親の車を借りて、山口県の角島大橋までドライブに出かけた。

こんなに純粋に旅を楽しめる状態になったのは本当に久しぶりだ。

益田市内から角島大橋までは国道191号線でおよそ2時間。かつては豊北町だったが現在は下関市となり、市の東端に位置している。近くには難読駅名として知られている『特牛駅(こっとい)』がある。

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この日は日曜日ということもあり、山陽や九州ナンバーの車を中心に観光客多数。そして、ライダーの数の多さに驚いた。抜群の景観をもつ角島大橋は絶好のツーリングコースである。紺碧の海の上を風をきって走るというのは、バイクでしか味わえない爽快感がある。4月中旬の日曜ということで、さあこれからいよいよツーリングシーズン到来!、初っ端とりあえず角島まで行ってくるかという感じで足を伸ばしたライダーが多いのではなかろうか。

一通り楽しんで益田に戻る。191号線 持石海岸の夕日とちょうど時間が重なり、駐車場に車を止めてしばらく夕日を眺めていた。

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持石海岸の夕日は、私にとって最も美しいふるさとの風景である。昔から何一つ変わっていない。益田で暮らしているときも、地元を離れてからたまに帰省するときも、変わらずに私を迎えてくれる。自分の人生のあらゆる記憶が宿る大切なふるさとの風景である。

旅を楽しむ幸せをかみ締めながら、この一日を過ごした。

再び地元を離れ、再出発する日が近づいている。

| 日常の話題 | 23:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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旅人生備忘録⑤ 家族に話す

地元での仕事を退職し、首都圏で出直すという決断を下したはいいが、これを家族に話さなければならないという大仕事が待っていた。


やっとこさ地元に帰ってきたと思ったら、また向こうに行きますと言えば、どんな反応をするのかは容易に想像できる。


ちなみに私の家族は母親と祖父母と私の4人家族。一人っ子で父親はいなかったが、好きなことやらせてもらえてなに不自由なく育ててもらった。母は看護師をしていて帰りが遅く、祖父母が私にとっては父親母親がわりだった。


その家族をがっかりさせ、裏切ってしまうことになる・・・。正直怖かった。


最悪、私は絶縁まで覚悟した。





しかし、家族の反応は驚くほど予想に反するものだった。




話を切り出したのは4月14日(土)の早朝。

退職日の一週間前のことだ。



朝5時頃に目が覚めてリビングにいると、母親も起きてきて、そのタイミングで話をした。



おそらく母親は、私の気持ちをすでに察していたのだろう。私の決断に対して驚くほど冷静に理解を示してくれた。



そして、祖父母の反応はさらに意外だった。


『そりゃー早よぉー言いんさいや。』


『家のこたぁ心配せんでええけぇ、あんたの好きなようにやりんさいね。』


と言うのである。



私は一人っ子で母子家庭ということもあり、将来的に家はどうなるのか、母親の世話はどうするのかといった問題を常に意識してきた。


これまで暮らしてきた首都圏と実家の島根では距離も遠く、気軽に往来できる環境ではない。であるならば、実家に戻って就職するのが私の宿命なのかと考えていた。


だから、家族の反応はまさに青天の霹靂だった。


肩透かしを食らったような気分とでも言えばいいのか。



その瞬間、重い呪縛から解き放たれ、一気に気持ちが晴れた。



もちろん家族の本音は近くにいて欲しいと思っているのだろうが、私の決断を許してくれ、『健康で元気に暮らしていることが一番★』と言ってくれる家族には感謝しても仕切れない。



これで全てがリセットされた。



仕事も旅も楽しめるように、もう一度ゼロからやり直そうと決意した。

| 日常の話題 | 21:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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旅人生備忘録④ 決断

私は基本的に悩みがあっても人にあまり相談せず、自分で考え決断するタイプだ。


東京に向かう前日、後悔と苦しさの限界を迎えた私は、退職の意思を職場に伝える。さすがにお叱りを受け引き留めにあったが、それでも意志は固かった。

甘いと言われるのは百も承知だが、私にはどうしても耐えることができなかった。この環境がこの先続くと想像するだけで気が狂いそうになった。


そして、地元に戻って初めての週末。元のアパートからの家財搬出と部屋の完全退去を目的に東京へ向かう。家族にもそう伝えて家を出た。


しかし実際の目的はそうではない。



東京駅に到着したその足で、私は3月まで勤務していた職場へと向かう。



東京に向かう前の段階で、家財搬出をお願いしていた業者にはキャンセルを入れ、アパートの管理会社にも話をし、元の職場の人と連絡をとっていた。


職場の上司と話をし、復職のお願いをした。


向こうは向こうで私が抜けて以来、人員不足の状態であったこと、また期限内であれば退職前の賃金・待遇が引き継がれることから、お互いにとって都合が良かった。



結局のところ、20日まで地元で勤務し、23日から元の職場へ復職という段取りになった。



そして最後の難題。



この件を、家族に話さねばならないのだ。

| 日常の話題 | 22:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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旅人生備忘録③ 旅立ちと絶望

地元での就職が決まり、3月下旬は慌しい日々となった。就職した場合にはアパートを引き払う必要性があるため、3月下旬は年休をあてていた。仕事が決まらなければ小笠原にでも行こうかと思っていたのだが、それも叶わず引越し準備へとあてられた。


4月1日(日)に地元に戻り、2日から出勤。荷造り作業が間に合わず、アパートの完全退去日は4月8日(日)と決めた。


地元へ向かう新幹線の中で、おおよそ12年間にわたった首都圏での一人暮らしを生活を振り返りながら、これから始まる故郷での新生活に頭を切り替えようとしていた。早く仕事に慣れ、故郷に貢献したり親孝行したいという気持ちもあった。土日祝休みの仕事だったため、働きながら資金を貯めて、バイクの免許と車体を買って週末にはツーリングでもしようと考えていた。これまで日本一周という長旅ばかりを目標としてきたが、それはとりあえず置いといて、仕事をしつつ旅とうまい具合に付き合っていけたらと思っていた。





しかし、私の考えはもろくも崩れ去る。





とにかく、仕事が合わないのである。




簡潔にいえば土木・ポンプ関係の仕事であり、その分野の知識に疎い私にとっては、その職務内容は完全に畑違いだった。水利施設の維持・管理が主な仕事なのだが、その仕組みがまったく理解できない。さらに建設業者や営農者、行政や農協などとの連絡・調整が頻繁にあり、神経をすり減らしてその仕事に追われている先輩職員を見て私は完全に萎縮してしまった。『人と連携して行う仕事』というのは一方では聞こえは良いが、想像以上に難しくストレスの溜まる仕事のようだ。期待していた休みも3人の職員で回す『当番』があり、時間の制約があることが分かった。

恥ずかしながら、私は最初の一週間で既にこの仕事に絶望し、自信を失ってしまった。

食事が全く喉を通らなくなり、頭痛が続いた。帰宅すればすぐに自分の部屋に閉じこもり、家族との会話も無くなった。こういう状態を世間では『鬱』というのだろうか。冷静に慎重にじっくりと自分の将来を見据えて活動してこなかったことを猛烈に後悔した。何かにおわれるような恐怖感に苛まれながら、がむしゃらに活動したあの日々は一体何だったのか。日本一周の夢をあきらめ、故郷での生活もうまくいかず、これが悩み苦しみ続けた結果なのかと考えると、あまりの不甲斐なさに涙が止まらなかった。



正直、このタイミングで日本一周の旅を断念したことは間違っていなかったと思っている。日本一周という夢に対してふんぎりをつけ、仕事をしながら旅とうまく付き合っていくという決断ができたことは正しかった。故郷での生活や家族と一緒に暮らすことが嫌になった訳でもない。問題なのは、焦って職探しをしたことである。


であるならば、私が進むべき道はおのずと決まる。


就職して一週間がたった初めての週末。


もともとはアパートの荷物の搬出と部屋の完全退去を目的とした東京行きだった。


しかし、私はある決意をもって東京へと向かうことになる。



| 日常の話題 | 20:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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旅人生備忘録② 人生の岐路に立つ

職に就いておおよそ2年間。

毎月わずかながらも資金を貯め、旅立ちを夢見て生活してきた。

旅が終わってからの2年間、厳しい就職難の時代にある社会情勢や東日本大震災を経験し、私自身も30歳を迎えた。就いた職は正社員ではなかったため、職のことや結婚のことを含め、今後の人生設計について深く考えるようになった。旅の再出発は2012年春を見据えていたが、2011年秋~冬にかけて悩みはいよいよ現実的になっていった。


まさに『人生の岐路』である。



簡潔に言えば、私の悩みの種は


・首都圏でこのまま生きていくか、地元にUターンするか


・旅の再出発をどうするか



という2点に集約される。



仮に日本一周の再出発をすれば、その期間は楽しいとしても、その後の人生は果たしてどうなるのか。先の不安ばかりが増幅し、私の中では次第に旅の夢が幻になっていった。不安を心に抱えたままでの旅など、面白いはずがないと感じた。

気づけば、Uターン就職を目指しての活動が生活のメインとなり、焦りを募らせる毎日になっていた。旅のことなどすでに頭には無く、むしろ私を悩ます『旅』というものの存在を恨むまでになっていた。

この頃の私は、まるで『このタイミングで地元で就職しなければ、この先ずっと後悔し不幸になる』というくらいの強烈な強迫観念に駆られるようになり、自分で自分自身をどんどん追い詰めてしまっていた。


こういった悩みが毎日毎日私の頭の中を駆け巡り、何かに追われるような恐怖感ばかりが私を包むようになる。特に希望職種を定めず、焦ってがむしゃらに無理をして活動を進めていた。週末は毎週のように高速バスで地元(島根)に帰省し、採用試験や面接を受け、その晩の高速バスで東京に戻りそのまま出勤するという生活を繰り返した
。もう高速バスで何往復したか数え切れないくらいである。旅のためにと思って貯めた資金は、皮肉にも就活資金として費やされることになった。


そして3月中旬、地元のある会社からの採用が決まる。

| 日常の話題 | 22:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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旅人生備忘録① 日本一周への夢と達成後・・・

2009年5月から10月まで、およそ半年間をかけて旅した原付スクーターでの日本一周

旅を趣味とする自分にとって、時間と行き先に制約されず、自由気ままに想いのままに旅することは憧れだった。それが「日本一周」ともなれば殊更である。

昔から旅は好きだったが、旅のスタイルは自動車&鉄道旅行が中心で、バイクにはまったく無関心であり、「日本一周」も漠然とした理想でしかなかった。

しかし、旅立ちの一年前のある夜、インターネット中に原付で日本一周した人の旅ブログを見つけ出し、のめりこんだ。このとき、日本一周の旅へと心が一気に動き出したのだ。あの瞬間の心の躍動は、今でもはっきりと覚えている。目指すべき道を探り当てたような感覚だった。

当時私は27歳だったが、仕事を辞めることや将来へと不安感は何故かあまりなかった。それ以上に日本一周が私の心を惹きつけた。

しかし旅の終盤、その後の人生をどうするかという不安が一気にこみ上げてくる。もう一度、同じ様な旅がしたいと思う一方、それだけの資金と時間がある訳でもなく、仕事をして生活していかねばならない。実際のところ、2009年10月に旅を終えた後、仕事探しへの不安や旅が終わったことへの空虚感・無力感に襲われ、新たに職に就くまでおよそ半年間かかっている。もう一度旅に出るのか、それとも仕事に根を下ろすのか。今後の人生設計を考えるにつけ、社会復帰も思うように進まなかったのだ。

2010年5月、ようやく職に就くことになる。仕事をしながらお金を貯め、およそ2年後を目処に新たな旅への出発を見据えていた。

しかし人生そう簡単にはいかない。旅をめぐる私の人生は大きく揺れ動くことになる。

| 日常の話題 | 23:07 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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ブログをリニューアルし、再始動します。

皆様、大変ご無沙汰しております。


この度、『ニッポン風めぐり紀行』と題しまして、ブログ活動を再始動する事としました。

2006年から現在まで、『美しき日常と、夢の旅路』として記録してきたブログ記事を引き継いだ上で、

タイトル変更&ライブドアブログ⇒FC2ブログへと引越しして再スタートをきります。



ここ半年近く、ブログを更新できないままでいましたが、とにかく様々なことがありました。その件は後ほど記事にするとして、今後のブログの方向性なんかを紹介します。




ニッポン風めぐり紀行』は、旅行関係の記事に特化した旅ブログです。

私は根っからの旅好き人間で、鉄道旅行、ツーリング、珍スポット訪問、まち歩きなど多彩な旅を楽しみ、また旅を中心とした日常など『旅に生きる日々』を発信していく考えです。日本全国、旅行く先々で感じる『風』を感じ、記事に込めていければと考えています。


2009年に実行した原付スクーターで日本一周のブログもリンクしていますので、ご覧下さい。


あの時、日本一周の旅に出発したのが2009年5月19日。


おおよそ3年の時を経て、2012年5月20日。


新たな旅路の歩みが始まります。

| 日常の話題 | 13:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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