ニッポン風めぐり紀行

各種旅行記、バイクツーリング、乗りものレポ、老舗旅館や街道探訪など、『旅に生きる日々』を綴るブログです。

2011年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年11月

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キハ181系ラスト!『かにカニはまかぜ』&『文殊』乗車の旅⑥

三ノ宮(18:48)⇒<かにカニはまかぜ>⇒大阪(19:11)

三ノ宮から大阪までは、ラストスパート中の特急『かにカニはまかぜ』に最後の乗車。

帰りも鳥取から乗車したかったのだが、あえなく満席・・・。三ノ宮から大阪までの短区間ではあるが、最後の力を振り絞る列車に私も乗り込む。

指定席は2号車のC席だったが着席はせず、デッキに立って流れる車窓を眺めながら、キハ181系のラストスパートを見届ける。

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わずか20分ちょっとの乗車で定刻どおりに大阪駅に到着した。大阪駅構内は朝とは比較にならないほどの物凄い混雑ぶり。帰宅時間とも重なったこともあり、一般のお客さんも「何事か??」といった感じで車両を見つめる。

到着してから先頭車両へ向かうとまるで撮影にならないくらいの混雑・・・。私は既に諦めの境地となり、遠くから群衆を見つめていた。そして汽笛一声、キハ181系は新大阪方へと引き上げていった。

余韻に浸る間もなく、東京への帰路につくために大垣駅まで移動。ここで、駅前(といっても少し遠い)のほか弁とローソンで食料調達。駅のベンチで腹ごしらえをする。


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大垣(22:49)⇒<ムーンライトながら>⇒東京(5:05)

翌朝、私は帰宅せずにそのまま出勤するのでできるだけ眠りたいのだが、減光はされず、停車駅も比較的多いのでなかなか熟睡することが出来ず、寝たり起きたりを繰返す状況。

そんな中、沼津付近で目が覚めると、車内が猛烈に暑くなっていることに気づく。暖房が効きすぎているどころの話ではない。40度くらいあるんじゃないかと思うほど灼熱の車内だった。私は車両の最後部の席だったのでデッキをつなぐドアを開けて換気を試みるが、それでも車内にいられる状況ではなかった。さすがに我慢できずにデッキに避難。同じ考えの人が何人もいて、デッキは盛況だった。

熱海での乗務員交代後、小田原辺りでなんとか正常に戻ったが、私は全く熟睡できなかった。

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定刻どおり東京駅に到着するとそのまま出勤。

これにて、0泊2日(2車中泊)の旅完結★

(終)
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「帰宅困難者」になりにけり @台風15号 (2011.9.21)

先日の台風15号ですが、これほどまでに大きな勢力のまま、首都圏を直撃するというのも随分と久しぶりではないでしょうか。あろうことか、台風の接近が帰宅時間帯と重なったため、私も「帰宅困難者」となってしまいました。

私の職場は16:45に仕事が終わります。仕事場は外ですから、14:30くらいから徐々に風雨が強くなってきたのが分かり、帰宅が困難になるのは確実でした。

案の定、会社に戻って確認すると普段通勤で利用している地下鉄東西線はストップ!しかも私が利用する東陽町~南行徳間は地下鉄といっても地上部分を走ります。中でも南砂町~西葛西間は荒川&中川を跨ぐ橋梁があり、今回のような強風の場合は必ず止まります。かつて強風による脱線事故も起きた地点ですから、その辺はかなりシビアになるのは仕方ありません。

電車が止まると手段はタクシーかバスかに絞られるのですが、同じ方面に向かう人と割り勘でタクシーで帰ろうかと話をしていました。しかし、タクシー乗り場もバス乗り場もものすごい行列でタクシーは一向に来ない状況。おまけにこの頃(17時すぎ)は台風のピークで、傘は全く役に立たず、体を持っていかれそうな位の暴風だったので、順番待ちどころではありませんでした。道路も渋滞してきて、結局タクシーもバスも断念・・・。一度会社に戻って考えることにしました。

交通手段はすべて断たれたので、会社に泊まるかネットカフェ・ビジネスホテルに泊まるかで悩んでいたのですが、18時すぎくらいになり、風は強いものの雨が次第に弱まってきていました。ここで帰巣本能とでも言いましょうか、何としてでも家に帰りたいという気持ちが強くなり、家まで歩いて帰ることにしたのです。

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会社を出て歩き始めたのが18時過ぎ。まだ会社に程近い南砂二丁目付近の永代通りの様子です。テールランプが連なる方向が葛西・浦安方面。車もかなり混んでいました。歩いて帰るらしき人も多かったですが、トタンや傘の骨組みが風で撒き散らされ、倒木や高層建物からの落下物を常に心配しながら歩いていきます。

永代通り⇒明治通り⇒葛西橋通りと歩みを進め、最大の難関である葛西橋へと差し掛かります。荒川と中川を渡る訳ですが、渡りきるのに15分くらいかかるため、暴風に煽られそうになる恐怖と、下を流れる恐ろしいまでに増水した川の濁流の恐怖と戦わなければなりません。

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こうして写真を撮っていますが、非常に危険な橋渡りでした。雨がやんでいたのは良かったですが、とにかく体を持っていかれないように、欄干に手を添えながら慎重に進んでいきます。橋の上なので自動車はスムーズに進みますが、この先の端の終わり部分ですぐに渋滞が始まりました。前方を横切る高架の道路は、首都高速中央環状線。こちらは通行止めにもならず、車の流れも順調でした。

葛西橋を渡り終えると西葛西・葛西と続く江戸川区内を横断します。葛西橋がちょうど行程の中間地点。足は非常に重くて痛かったですが、それほどの疲れもなく、快調に歩みを進めていきます。江戸川区内では、若いおねえさんに道を聞かれたり、コンビニでトイレ休憩&ジュースで一服したりしながら、ついに千葉県浦安市に入りました。

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そしてついに、目的地である駅近くの駐輪場に到着しました!

さすがに足はガクガクで、足裏とかかとは水ぶくれ、腰には激痛がはしり立っているのもままならない状況でした。この時の時刻は20:30。およそ2時間30分を歩き通したことになります。疲労感はありましたが、同時に達成感もあって自己満足でいっぱいでした★

昨年の夏ごろですが、私は東西線の西の端の「中野」(厳密に言うと中野富士見町)から南行徳まで一晩かけて歩き通したことがあります。およそ30kmの距離を終電後から歩き始め、新宿~四谷~大手町~新大橋を経由して夜明け頃に自宅に着きました。あの時の経験が効いたのか、今回はそれほど長いと感じることもありませんでした。

しかし、毎日歩けと言われればそれは無理です。公共交通機関の充実した便利な暮らしを再認識する良い機会となりました。






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キハ181系ラスト!『かにカニはまかぜ』&『文殊』乗車の旅⑤


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浜坂(13:17) ⇒  城崎温泉(14:25)


浜坂で一息ついたところで、普通列車で城崎温泉へ向かいます。この後、『かにカニはまかぜ』の大阪行きがあるのですが、残念ながら浜坂⇒大阪の指定券は取れませんでした。

昼飯を食べた後だけに猛烈な眠気が襲ってきてしまい、城崎温泉まではほとんど寝ていました。



城崎温泉(14:30)⇒<きのさき 8号>⇒福知山(15:43)

城崎温泉から大阪までは様々な特急を乗り継いで行くことにしました。

まずは特急『きのさき 8号』京都行きで福知山まで乗車します。温泉客が帰るには若干早めの14時台の特急でしかも始発ということもあって、車内はガラガラで福知山まで快適に移動できました。


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『きのさき8号』とこれから乗車する『文殊2号』の並びです。さらに右側には回送の特急列車がいて、特急型車両が3体並びました。



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福知山(15:46)⇒<文殊 2号>⇒宝塚(16:57)

福知山からは福知山線経由で大阪へ向かう特急『文殊 2号』に乗車します。

この『文殊(もんじゅ)』は大阪(新大阪~天橋立間を福知山線経由で結んでいますが、一日一往復しかないためになかなかレアな特急です。しかし、2011年3月のダイヤ改正によって特急『文殊』は消滅することになりました。ここは惜別乗車ということで、福知山~宝塚まで乗車します。

車両は4両編成で、1号車がグリーン、2号車が指定、3・4号車が自由席です。念のため、2号車の指定席を確保しておいたのですが、指定席は結構な乗車率(私も隣も相席)で窮屈になってしまったので、車掌氏に断って比較的空いている自由席に移動しました。

宝塚駅で改札を出て、駅周辺を散策して時間調整をします。大阪圏のベッドタウンといったところでしょうか。駅周辺はショッピング街が形成されていて、多くの人で賑わっています。小腹が空いたのでどこかで軽食でもと思いましたが結局歩き回っただけでした。改札まで戻り、縁起をかついで(「宝塚」だから)年末ジャンボ宝くじを購入し再び改札内に入場します。(ちなみに、大当たりは出なかった。)

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もうじき天橋立行きの特急『文殊1号』が到着するとのことなので、ホームで見送ることにしました。コチラは国鉄色の6両でした。

ここからは快速で尼崎へ向かい、JR神戸線で三ノ宮へ向かいます。

最後はやはり、あの列車で締めくくりです!!

| 10年12月/かにカニはまかぜ&文殊 惜別乗車の旅 | 22:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「9・11」&「3・11」

あれから、もう半年が経つのかと思うといささか不思議である。

今でも、あの瞬間の地震の恐怖を思い出し、津波が街を襲う光景が脳裏に蘇ることがある。

2011年9月11日。

「東日本大震災」からちょうど半年。そして、2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ」からちょうど10年がたつ。まったく日本という国は、歴史的出来事の日付までアメリカを追随するのか。

あの日以来、アメリカは自国を狙う「テロの脅威」と戦い続け、国民のナショナリズムを高揚させてきた。テロの直後、ニューヨークの消防士や警察官がヒーローになり、テロに屈しないというアメリカの決意を世界に見せ付けた。メジャーリーグの試合では、7回の攻防の前に「God bless America」という曲が球場全体で歌われている。

テロから10年が経過した今、アメリカ社会にはテロリストを生み出したイスラム社会に対する差別や排斥の動きが芽生えているという。イスラム系アメリカ人がいわれのない差別を受け、モスク建設の話があがれば忽ち賛成派と反対派が激しく対立するそうだ。

この10年のアメリカの歩みは、平和的な方向には決して向かっていない。テロ行為は許されないが、テロリストを生み出したのはイスラムではなくアメリカ社会そのものである。自国のあらゆる振る舞いが、別の文化で育った人たちの心の中に、憎しみや恨みを積み重ねている。その連鎖はまだまだ断ち切れそうにない。そしてそれが続く以上、アメリカのテロとの戦いは果てしなく続く。もちろんアメリカの同盟国である日本が標的にされる可能性もある。

震災後の日本の10年も、アメリカと同じ道を歩むのか。

震災直後の自然に対する畏怖の念、我々が営んできた生活への反省、そして悲しみに打ちひしがれている人々を助けたいという心は今もこの国に息づいているのだろうか。普段の生活や消費活動が被災地を苦しめることにつながっていないか。いつも自分自身に問いかけながら生活したいものである。普段どおりの生活をすることは、震災前と同じような生活をすることと同義ではない。

歴史的な出来事が、人と人との関係を引き裂く契機になってはならない。逆につなぎ合わせるきっかけにしなければならない。

この10年の歩みが日本に問われている。

| 主張・意見 | 22:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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